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戦争の怖さしか教えない教師達

 また、終戦記念日を過ぎた。だが、個人的には敗戦記念日と呼んでいる。
 公式文書では"surrender"だから『終』戦で良いとする識者もいるが大間違いで、"surrender"は降伏であり、あくまで当事者の一方が敗北を認めたうえで戦いを終えることである。
 なによりも『終』戦という響きには、ただ単に戦争が終わったと表現することで、当事者であるにもかかわらず責任から逃れようとする意図も感じられる。もちろん私は『戦争を知らない子どもたち』だが、そこが気に食わない。
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 「何で戦争なんかしたん?おかしいやん、信じられへんわ。」
 小学生の私にそう言われた祖母は、実に悲しそうな顔をした。 もちろん、当時は悲しみの意味などわからない。学校で教えられていることと、自分の祖先の行動との矛盾を、ただ単に疑問にしてみただけだった。

 前後して、小学 3年生のころ。父が買った戦争被害者の遺体を中心とした写真集を自宅に来た友人たちに見せた。「死者が語る戦争」とかいう題で発行元は河出書房新社だったと思う。夜になると、その本がある部屋には入れなかったぐらいの怖さだ。
 その本の話題が学校でも取り上げられて、当時の担任の耳にも入った。「近藤君、持ってきてよ」と頼まれる。もちろん即答せずに、持ち主である父に相談した。「あの本は子どもにはきつい、代わりにこれをもっていきなさい」と渡されたのは、学徒出陣の写真集である。死体が並ぶような悲惨な映像などはいっさいない、むしろ当時の学生たちはしっかりしていたという記事も目に付くような内容だった。

 結果、担任は不服そうな顔をしながら、教え子たちにそれを回した。今だからわかるが、『戦争を否定するにはものたりない』と感じたのだろう。それ以前に、死体の写真を進んでみせようとする彼女の神経じたいが疑わしいが。
 評判のいい先生で、2日に1回は学級通信が配られるなどきわめてアクティヴな一年を送った。しかし、自分の理想像のみで物事を判断する癖があり、外れていなければ徹底して甘いが、私のような生徒は嫌われた。その反動からか、4年になって担任が代わるとすぐに学級崩壊がはじまった。いずれにせよ、バランスのとれていない方だったのは間違いない。

 彼女に限らず、どうも危険なのが『戦争は怖いもの』だと単純に教える姿勢だ。確かに怖いものだが、死体でも何でもいいから恐怖を植えつければいいというもではない。それだけで片付けては、起きる原因やその背景などに関心が向かない恐れがある。戦争を起こさない方法はもちろん、起こされた時の対応を考える習慣がつかないのではないだろうか・・・。
 穏当な判断をする父がいる私などは教師たちの善意の罠?にはまらなかっただろうが、そうでない小学生たちは、酸鼻極める死体の映像を見せられ、想像力が停止したかもしれない。重ねて父の配慮に感謝したい。

 仮にあの写真集が各地の学校で見せられたとしても、大勢は動かなかっただろう。
 19年が経ったが、私の同世代以下で意識の変化が現れている。インターネットなどの発達により情報源が広がったおかげもあり、戦争に対する捉え方が単純なものではなくなっている。幸いにして直接の体験はないものの、誰が何のために戦争を起こすのか、といった思考方法が増えているように思う。
 そして、当時の人々の立場で考えてみる発想も生まれてきた。

 その時代にはその時代の、あるいはその地域や宗教にはそれぞれの善悪基準というものがある。残念ながらいや当然ながら、この星で基準が統一されていない現状で、自分の価値基準だけで他者の行動を理解しようというのが傲慢だ。だいいち、自己の基準を押し付けようとした時に、戦争の種が生まれる。
 祖母の悲しみは、私が他者であることを知らされたからであろう。復興に苦労した先々代をよそに過去を単純否定する子どもたち。私も悪い孫だった。

 無益な争いを減らす手段だと肝に銘じつつ、自分の基準だけで考えないようにしたい。今に生きる者ができることだから。

 重ねて、無数の被害者へご冥福をお祈りする。

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