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モノを言う覚悟

 ますます、マスコミが信用できない(笑)。メディア種別ごとに傾向がはっきりしていて、誰かの意図で操作されているように思えるからだ。

 全てがそうだとはいいきれないが、何人にもかかわらず触れられる媒体ほど「小泉支持」で、そうでないものほど「反小泉」という状況になってきている。たとえば、同じテレビでも違う方向の報道があったりすれば、多様な意見があって選択肢になるといえる。しかし、このような情報の偏りがあっては、判断材料が十分に与えられないうちに雰囲気で「小泉首相万歳」になりかねない。逆もまたしかりであるが。

 簡単に、小泉政権への態度をメディア別にまとめてみた。


メディア対小泉政権一般的な信頼性主な宣伝対象
テレビ、ラジオ支持・賛美調高い一般大衆(主婦層)
新聞一般紙支持・表向き記事高いエリート=知識層?
スポーツ紙中庸・表向き記事中程度庶民層(俗的な)
タブロイド紙批判・憶測記事中程度 サラリーマン層
週刊誌・雑誌批判・告発記事やや低女性(勤労層)、男性
インターネット非難・抵抗・摘発低い若者、不遇な知識層

 気になるのが、今回自民党幹事長に就任した安倍晋三氏の扱われ方だ。ブッシュ政権特に一昨年のテロ事件?以来、上の表の上段にあるメディア、つまり「マスコミ」ほど彼を持ち上げている。
 彼は北朝鮮交渉に米国高官を引き入れたことでもわかるように、タカ派のなかでもかなりの親米といわれている。外務大臣になってしまえば、それこそ竹中大臣に続いて、アメリカ張りの改革を押し通しそうなところだったが、幹事長におさまった。
 冷静に考えれば、いくら党の人事と金を握る幹事長といっても、あくまで政党の役員=私職であり、(小泉の)抵抗勢力とされている連中に晒し挙げにされやすい。公職である外相よりも困難な立場になるはずである。それをマスコミは、どのチャンネルをつけても、史上3位(49歳)の若さでなったことをとりあげ、あたかも待ち望んだプリンスの登場のように演出する。しかも父が安倍晋太郎、母方の祖父が岸信介であることも強調し、血筋の良さもアピールだ。ついこないだまで「世襲批判」を繰り返してきたテレビ新聞などのマスコミが、手のひらを返すように騒いでいる。
 疑わしい。「幹事長就任」はあくまで選挙の顔としての安倍晋三を作るための手段と考えられ、マスコミはその片棒を担いでいるといえる。

# 米国政府としては安倍氏が外相になったほうが交渉しやすかったかもしれない。が、日本国内では自民党幹事長職のほうが外相よりも上とされる傾向があり、後の首相候補含みで安倍の顔を売ることを優先したとも考えられる。=マスコミと提携?
 もしくは、安倍を外相にさせない窮余の一策として、小泉が幹事長カードを切ったのかもしれず、真相はこの俺にわかるわけがない(笑)。

 この反面、上表の下段、タブロイド紙からインターネットにかけては、小泉批判の記事が目だつ(でも安倍批判は少ない。持ち上げることはないが。)週刊誌は、サイト・雑誌の新聞などで各誌の見出しが確認できるのでご参考にされたい。
 いったい、どういうことだろうか。

 よく言われるのは、情報受信者からの直接収入が少ないメディアほど資金の圧力に屈しやすく、他者の情報操作を受けやすいことだ。その筆頭が、ほとんどを広告収入に頼る民間放送であり、その次が議会で予算が承認されるNHKだったりする。間接的にでも広告料を払うスポンサー、もしくは議員からの直接圧力等で資金源を断つぞと脅されれば、報道内容を変えてしまうだろうことは、想像にたやすい。
 ちょうど、上表の下になるほど情報受信者からの直接収入が増え、最後のインターネットなどは対して運営費用がかからない。圧力がかかりにくい、すなわち真相が語られやすくなるともいえる。
 かといって、テレビなどのマスコミを真っ向から責める気にはなれない。そういう弱い構造なのだ。無料で提供するには、それだけの収入を広告主など情報受信者以外から求めざるを得ない。「無料(ただ)なものほど怖い。」とは良く言ったものだ。テレビ・新聞しかない方々は、何とか他のメディアにも接するようにして、バランスよく情報を選んで判断すればよい。

 小泉支持報道に唯一抵抗しているように思えたのは、久米宏氏ぐらいだ。
 22日晩の番組内で安倍氏に向かい、「青木さんなどを含めて、(混乱した状況のさなか)各候補に公約厳守の署名をさせられるようなマニフェスト(政策綱領)なんか作れるのか?」という懐疑的な迫り方をしていた。
 彼がキャスターを務める、かのニュースステーションじたいはショー要素が強く、デフォルメが強かったように思える。それであまり観なかったのだが、最近は踏ん張っているようだ。去る今月20日、自民党総裁選直前の4候補揃い踏みの際も、「まだ投票は始まってません。何も決まっていません。」と強調したのはやはり久米だった。マスコミがそろって「小泉総裁確定」で報道していた頃のことである。
 これらの勇気は、番組降板を覚悟したからだろうか。「引退と引き換えにさらにモノを言おう」としている点は、あの野中広務氏と共通している。実は久米も小泉政権の怪しさに感づいていて、かつ様々な圧力でモノが言えなかった一人かもしれない。

 辞める覚悟がないとモノが言えない。

 久米氏にしても野中氏にしても、辞めても食い扶持に困らないからできることだ。サラリーマンでも同じことが言え、私もその心積もりで発言している。だが、いつまでこの立場が続けられるかが目下の悩みであり、仮に家庭持ちとなっても、しばらくは食わせられるような仕組みをうまく作らねばと考えている。

 最後は、所帯じみた話になってしまった。(バリバリの独身やのに…笑)

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