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アメリカの対日命令書

 よく、「日本はアメリカの属国だ」といわれますが、こんなにもわかりやすい一覧があったとは驚きです。
 米国大使館の「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本政府への米国政府の年次改革要望書」です。ここまで他項目にわたって要望すれば、外交の範囲を越えて内政干渉、いや、まさに属国扱いですね。
 この要望書にしたがって動いているかどうかで、政治家、財界人、官僚などのスタンスが見分けられます。つまり、公人である自分の立場を忘れて、日本よりアメリカの利益を優先して私的な身分を守ろうとする連中がいる。確かに昭和以前ほどではないにせよ、欧米から盗む面はまだまだあると思います。ただし、あくまでも日本の風土自然にあった選択をすべきであって、その他の地域(地球全体といえば別だが)だけを利するために動くのはやはりどうかと。
 どうして、こうもその他の地域、特にキリスト教文化圏の影響を受けやすいのかというと、資本主義に慣れない日本(を含む東アジア圏)の姿がそこにあるのかもしれません。義務教育で、戦争の怖さを教える先生は掃いて捨てるほどいます。が、戦争の発生原因の一つである資本主義を「元手(資本)を出した人間本位の仕組みです」などと説明してくれる先生はまずいません。説明もせずに反対だけしている教師はいますが(笑)。戦後の占領政策でよりその傾向が強められた可能性は高いものの、それ以前に、多神教的で相対的な物の見方を得意とする日本人に、金持ちを絶対にしてしまえる発想は受け入れ難いのかと思います。
 以上の困惑ぶりや、無知ぶり(彼らから見て)をふまえた上での「要望書」がこれです。彼らにとっては、自分たちのルールになじまない人間は全て土人のような扱いかもしれず、「我々の教えを広めてやろう、教えのとおりにしよう」というお節介の現れでしょうか。一般の人間関係にもありえる状況が国際間でもあるのかな、と思っているところです。

最後に、トラックバックを送った先をリンクに。奇しくもなのかそうでないのかは不明だが

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自己責任を知らない、子ども達さ~

 ご利用は計画的に
 使いすぎはあなたの健康を損なう恐れがあります
 この商品は盗難防止を保障するものではありません

 最近のCMで目につくセリフをあげてみた。消費者の苦情・クレームを回避したいスポンサー企業の意図がよくわかる。
 ある友人は、化学処理を一切しない純国産材の住宅を売っている。「自然材なんだから大丈夫でしょ?」と、子どもがアトピーにかからない保証書を出せと言われたそうだが、さすがに回避したそうだ。お客さん自身が持ち込む家具の材質でも違うし、住宅だけでは決まらないからである。消費者が自分で発生させる要因まで面倒を見てられない。
 一方、訴訟大国・アメリカでは、電子レンジに入れて愛猫を死なせた主婦がメーカーとの裁判に勝ち、賠償金を得たほか「猫は入れるな」との表示を義務付けさせたという。ちょっと想像すれば危なそうなことぐらいわかるではないか、これでは猫があんまりだ。このような顛末がないよう、販売者側は事前に起こりえる危険・リスクを予測して、先に注意事項として消費者に投げかけておくのが常だ。
 この注意事項を端的に表したのが、冒頭のセリフ群である。
 『この商品の使用においては、自己責任ですよ』と始めに宣言しておいて、消費者側の不始末(販売側の不具合も含まれる)による損害に対する責任を放棄している。「免責」した部分責任は消費者が負うとしている。

 免責を許されない例外が、政府官公庁などの公共サービスだ。福井県でおきた関西学院大山岳部の遭難が代表例で、そもそも自己責任で登山したはずの彼らが、結果として救援を仰ぐことになった。もちろん彼らは実費を払うのだが、税金負担の部分も少なくない。私企業なら「事前説明と注意」だけで免責できるかもしれないが、公共団体である以上は国民の生命を守らねばならない。たとえ、彼らの悪天候登山が向こう見ずの暴走行為であったとしても。
 イラク人質事件でも、その考え方が応用されたのであろう。ところが、関学大生がまず陳謝したのにくらべ、彼らの家族はまず持論を主張した。10年以上前なら「自衛隊撤退論」そのものに同情がよせられたかもしれないが、大衆消費社会が終わった?今は違う。その自己責任発想の薄さに大衆が激怒した。

  『弁え(わきまえ)の無い奴が!』

 大衆の激怒を古いセリフで表せば、こういう所だろう。危険を意識しつつ自分の能力をわきまえて行動するのは、決して新しい考え方ではない。動物の親は危険への基本的な対処法を教えて、後は自分の責任で有事に備えなさいと言い聞かせる。我が子が死なないための「しつけ」は、親が負う最低限の自己責任だ。これをしてもらえなかった子ども達は、イラクで人質になったり、動作の怪しい回転ドアに思わず巻き込まれてしまう…。
 テレビCMの注意文句も、政府側が「自己責任」を叫ぶのも、自己責任を知らない子ども達を保護するためのもの。幸いに「しつけ」を受けた人々には要らざるおせっかいと言う点でも同じで、本当は必要ないのかもしれない。世論の反応が違ったのは免責が許されるかどうかの差で、公共機関に対してでも自己責任をもって接したほうがいいのは間違いない。私企業も政府も絶対的な存在ではないし、自分の失敗をカバーしてくれるとは限らないのだから。

 ようやく、自己責任"own lisk"の構えが戻りつつある。ここ数十年間に限って失われていたそれを、自分たちの手で取り返そうともがいているのが今日だ。
 また母の小言を思い出す。

 「自分で責任とるんやったら、勝手にして良えで~」

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