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働く=端(はた)を楽(らく)にする。

 この前に、『地域重視or世界標準?一目でわかる一覧表』という記事を書いた。おそらく、読み手各人の立場によって、捉え方が違うかと思う。例えば、農漁業従事者やある種の製造業関係、地方公務員などであれば、「地域重視が良い、まず自分が属する集団で助け合うことだ」という気持ちになるだろう。逆にコンサルタントや一部の中央官僚・金融関係者、外資系企業の関係者となると、「世界標準に守って当然、遅れるやつ合わせられない者が悪いんだ」という感想があってもおかしくない。

 ちょうど良い参考記事を見つけたのでリンクを記しておく。
  国際派日本人養成講座-道徳力と経済力

 そろそろ私の意見を述べると、前記事で言うところの「国際協調」と「地域益重視」の間ぐらいだ。
 「世界標準に守れない奴はダメだ」の発想を続ければ、常に世界標準(Global Standard)を創り出せる連中が優位にたつから、世界の利益というよりも標準を作った者の利益重視になってしまう。この発想に属する人が良く言う「自由競争」は少数には確実に利益が行くように作られた標準の中での話だ。勘違いしてはいけない。
 ということは、世界標準をよく知らない人間にうまく商売すれば、巨利を得ることも可能で、詐欺ではなく合法だから許されるという発想にもなる。
 悪い例として、某外資系コンサルタントに成果主義・目標管理制度が世界標準だと教え込まれた、某IT系製造業の惨状が挙げられる。どんな仕事をも数値(金銭)に置き換えて、その達成の有無で、給与や昇進を決めるのが目標管理制度だ。これを全ての社員に適用してみると、営業などは良くても、管理系や運用系など守成・維持を目的とする部署はたまらない。強引にでも目立つ仕事を見つけてこなさなければ、減給や降格が待っているのだ。そうしているうちに士気が墜落し、生産性が激減してリストラ以前に有能な人材から逃げられた。
 下手に外部の標準を丸呑みして、会社全体が苦しむ結果になったのである。どの会社とは言わないものの、この製造業が某外資系コンサルタントに賠償金を請求することは、もちろん不可能だ。コンサルはこう言うだろう、「私たちの言ったとおりに完璧にしないからうまくいかない」と。嘘をつけ、完璧にしたらもっとおかしくなっている(笑)。
 では、いまの標準がおかしいからと、理に叶ったシステムを唱えようとも、既に標準を握った権力者(政治家よりも資産家に多い)が「これがルールだ」として、己が作った掟で反逆者として抑え込むことができるから、余計にタチが悪い。この権力者たちの着眼点は、どうやらユダヤ商人の発想らしい。詳しくは先述の参考記事をお読みくだされば幸いだ。

 また、同じ記事の末尾に『働くのは「端(はた)を楽(らく)」にするため』という記述がある。
 まさしくジャパン・スタンダードで、周囲や世間を楽にすることが「働く」ことだという発想だ。そうしているうちに周囲や世間の活気や購買力が高まるわけだから、恩がある企業や団体の商品を買ったり利益になることをするという、信用の循環である。さらに競争相手も「世間」のうちだから、よほどの時は助け合う発想に切り替えられるので、特定の企業が倒産してさらに連鎖破産=大不況、なんて悪循環も防げる。最近だと、イオングループがマイカルを救済したように。気持ちのいい話ではないか。

 これがユダヤ?・スタンダードになると、自教徒は別として、他教徒であれば先に作ったルールにさえ適合していれば、何をやっても良い。いくらでも稼げという発想だから、当然信用を失う。競争相手が倒れるのも、ルールを守りきれなかったからと割り切るので、助け合いはまず生じない。結果的にはごく一部の金持ちと大多数の貧乏人を作るシステムになってしまう。(ルールを遵守するっていうのは聖書の内容を遵守(盲信?)する心理状況と似ているらしい・・・おお怖。でも、決定権を他人に預けるのは確かに楽なんだろうね…)
 日本やアジア圏に比べると、欧米が受けたユダヤ商人発想の影響は長く深い。身包みはがれた者もいれば、その発想・ルールに乗っ取って莫大な利を挙げた者も居るだろう。たぶん後者が欧米の政治経済軍事の全てに影響を及ぼしていることは想像に難くない。(最近のフランスあたりでのユダヤ人排除などは、このあたりの歴史背景も影響しているのだろう。)

 ともかくも、外から来た標準・ルールを守る・取り入れることよりも、どうすれば周囲や世間が楽できるかを優先に考えるほうが良い。これが私の考えであり、実際職業人としての私も、なんだかんだの守らざるを得ない基準があっても、いかにお客様や他の働き手に迷惑がかからないような運用ができるかを重視している。
 邪魔になる基準を押し付けて業績評価が上がっても嬉しくない。それは端を楽にしたわけではないのだから。

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高い目標より、時代の流れに乗れ

 JQA(経営品質協議会)という団体があるらしい。常に新たな高い目標にチャレンジし、まず社員の満足そして顧客満足、社会貢献を果たしていこうという発想だそうだ。近江商人が掲げた三方良しの発想「売り手(社員)良し、買い手(顧客)良し、世間良し(社会貢献)」を現代語に置き換えたものといえ、企業経営の根本は今も昔も変わらない。(どこかの学者大臣みたいに、何でもかんでも横文字にするよりはマシ)。

 理論的にもしごく納得、まさにその通りというしかない。
 だが、一つ気になるのは、拡大再生産がこれからも続く前提でこれらが語られていることだ。
 ある受賞企業の経営者が語られたお話を引用する。

 2001年度には60%の目標に対して実情は30%、02年度は70%に対して50%、03年度は80%に対して70%と、年々理想に現実が近づいてきたように思えた。しかしJQAさんの評価を受けたところ、実情はまだ60%で目標は90%に立てるべきであるとより指摘され、さらに高い目標をめざして改善をはかるようになった…

 こんな趣旨だったかと思う。
 私が恐れるのは、目標を際限なく上げるという、まさに永久的な拡大発想だ。

 この会社の業態は自動車販売である。根本論として、自動車が主力輸送機器であり続けることは保証されないため、自動車販売を永遠に続けても、顧客満足度や売り上げが際限なく上がることはない。
 さらに、仮に自動車販売業が成立する時代だけの変化を追ったとしても、単純に拡大というわけにはいかない。数値的には上がったように見えても、20年後の満足は20年前の延長線上ではなく、違ったものを要求していることが多いからである。
 自動車だと壊れにくさが要求された時代から、オイルショックのような燃費重視の時代、バブル期のインテリア志向、最近は環境志向へと移行してきた。このように、既存の価値観による目標を上げるにしても、通用する期間は初めから限定される。

 やはり、より高い目標を掲げ続けるよりも、時代の流れにあわせることを優先ししたほうがよい。経済そのものが拡大を続ける可能性も低く、これまでの歴史でも好不景気の波があることは証明されていることだ。

 「高い目標にチャレンジ」
 特に造船繊維など、確実な代替製品がでている業界にそのセリフは酷である。商品や業態が時代に合っていなければ、社員がいくら工夫努力しても売上は伴わない。もっとも、シェアが下がり続けようとも顧客満足を徹底重視するから、それにあわせた目標をというのなら別だが、やはり利潤が上がらねば会社は持たない。
 実は、JQAからの指摘話の前に自動車販売会社の社長は、「時代の流れや自然の摂理から生ずる需要に合わせた目的が、理想的、数値的な目標に優先する」とおっしゃっている。先述の指摘内容は社長のご明察を潰すように思えてならない。どうも不安である。
 いや、充分にお気づきの社長がJQAに参加されているのは、隠れた意図があるのだろうか?
 
 また、営業の後輩がやめて行った。
 目標管理制度による縛り上げもあったのだろう。時代の流れでどうしようもない状況を、「目標との乖離」だけで否定されてしまえば、音のあげようもない。
 ともかくも、彼の幸せを祈る。拡大経済主義・(数値)目標優先発想がまだまだ強いのも時代の流れだから、うまく合わせられる日まで待ってみるのが一番だろう。


 ※7月15日未明に修正しました。話の筋がずれる箇所があったためです。

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沖縄食の日々

 どうもおかしいと思ったら、沖縄系の食べ物ばかりを買っていた。水曜日にもずく、金曜日に沖縄そば、土曜日にシークワーサー100%ジュース…
 その土曜日にはあらかじめ買ってあったSPAMを焼いて添えた沖縄そばをすすり、夜はそば焼酎二階堂(大分)をシークワーサージュースで割って飲み、さかなはもずく。計画したわけではないのだが、ウチナンチュー気分になっていた。

 こうして沖縄食をためしてみると、色々な点にきづく。
  1.意外と塩分が少ない(味は辛めでも)
  2.それぞれの味が強烈(沖縄そばのダシの強さ、シークワーサーの酸味の強烈さ)

 沖縄そば。琉球といわれた頃から昆布をよく使うそうだが、東シナ海周辺では昆布がとれるはずはない、おそらく古くからある北海道あたりとの交易(江戸期はヤマト=日本本州経由だったろう)で培ったものだろう。もしくはもっと地球が寒かった時代に、昆布を食する一族がいたのが、時代を経て北海道と沖縄に別れてしまったのか。(彼らを追いやったのが大半の日本人の先祖にあたると思われ)

 そんなことをいちいち考えながら、食べている。すなおに旨いと言えばいいのだが。それだけでは、この性格では面白くない(笑)。そういえば、シークワーサーのクエン酸も相当強いらしく、疲労回復にはてきめんな効果。ただ、この強さが酸味をも強くさせているので、100%果汁ではなく割って飲むことになる。
 さすがは長寿地域である。これだけの特徴が濃い食べ物文化をもっていれば、上手く使い分けて体調をコントロールすることもわけはないだろう。

 さて、SPAMの残りをどうするか考えんと。賞味期限が2年近くも過ぎているのによく味が持っていたが、開封して冷蔵庫ではそうも時間がない。また、沖縄そばにするか…

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オールスターをすっかり忘れていた

 横浜の東急ハンズで、傘補修材と無添加せっけんシャンプー、リンスを購入。衝動買いでシークワーサー100%ジュースもこれで焼酎の水割りが楽しみ・・・などと思って自宅についた7月10日の夜。帰ってきて今日がオールスターゲームだったことにようやく気がついた。そうか。一連の合併・再編騒動で、プロ野球そのものの存在を忘れていたらしい…。

 プロ野球の立ち回り自体にアホらしくなっていた。長らくの阪神ファンだから余計にそう思うのかもしれないが、プロ野球が単に野球好きの面ではなく、愛郷心とか、地域によらない愛着心の延長で成り立っていることはいうまでもない。

 この「愛郷心」を、経営者側も選手側も忘れているように感じたのが、アホらしさの原因である。

 もちろん愛郷心だけでは収益には結びつかない。優勝できるだけの戦力を整え、よいプレーを見せたり人気のある選手、立地条件がよく見やすい球場を獲得するなどを用意する経費が必要だ。そのうえで、売上(入場料、放映権料、グッツ売上、商標使用料…)を冷静に考えた、興行としてのプロ野球企業体が存在する。
 ざっと考えてみればこんなところだけど、今回の合併騒動は、経営者の危機感と選手・ファン側の愛着心がかけはなれて大きくなったものだろう。
 読売のナベツネ氏とかオリックスの宮内氏などの経営者は儲からないと思う圧迫感から、「せめてパイにありつく同業他社を減らそう」と一球団あたりの収益を上げる方向に傾いている。一方の選手や観客はこれまでの体制とチームの歴史に対する愛着心からこれに反発していると見える。私自身も心情的には2リーグ12チーム制か、それが無理なら韓国台湾を巻き込んでアジアリーグでもやってくれとの思いだ。
 だが、いまの社会はあくまでも資本主義、つまり資本=元手を出した株主が経営の決定権を持つようにできている。その株主とは各チームの親会社である読売新聞、オリックスや阪神電鉄などがそれにあたる。極めて悔しいが、現行制度のままでは選手やファンに一切の決定権がないのだ…

 ただし、選手は「社員」ではない。各チームに野球技術の提供を契約する個人事業主である。
 チームに移籍交渉権があるなど、いろいろな制約はあるものの、彼らがチームに見切りをつけるときは「退職」や「解雇」ではなく、契約の解除なのである。で、こういう論理にすれば選手の主張は通るのではないだろうか。わかりやすい例として中村紀洋選手をあげる。
 「5億円の年俸(野球技術の委託料)は放棄する用意がある。年俸が安くなってでも合併しない球団(つまり大阪にもこだわらない)でやってみせ、チームの数も減らさないつもりだ。」
 選手たちにはこの覚悟があるのだろうか。その売上と経費(選手への年俸)に不釣合いが生じたのが今回の合併騒動の主原因だ。近鉄やロッテが効果的なファン増大策や財務改善策もとらなかった(名義売りは読売オリックスあたりに妨害されたとの噂があるが)のは間違いなく事実だろう。しかし、大阪や千葉に本拠地を置きつづけること自体が人口バランスに合わないという根本原因を、早いうちに何とかできたのではないだろうか。現にサッカーJリーグのベカルタ仙台やアルビレックス新潟、プロ野球でも北海道日本ハムファイターズなどが、地方分散の好況をみせているではないか。

 最初の話に戻るが、まだまだプロ野球は「愛郷心」を生かすことを忘れている。
 生かした好例をあげておくと、阪神タイガースに人気がある原因の一つも「愛郷心」の活用で、選手に関西人が多い。最新のスタメンでいくと、今岡(兵庫)、赤星(愛知)、片岡(京都)、金本(広島)、檜山(京都)、アリアス(アリゾナ)、矢野(大阪)、藤本(兵庫)、井川(茨城)と関西系が5人。捕手が大阪出身の矢野だから、共通語は大阪系関西弁だし、なにより岡田監督が大阪市玉造出身である。案外、この球団は地元志向に配慮している。(東京出身で早大卒の新人・鳥谷敬選手にレギュラー争いで勝った、兵庫出身の藤本敦士選手への礼賛にも愛郷心がうかがえる。鳥谷には気の毒だが、実力の差であることはいうまでもないし、このお陰で藤本グッズは飛躍的に売上を伸ばした。上手い商売や。)
 となると、申し訳程度に地方開催をやるような、オールスターゲームなどアホらしゅうて見てられない。勝負がかかるリーグ公式戦のテレビ中継は東京球団である読売に集中、大学野球などは山口県の東亜大学や仙台の東北福祉大がどれほど頑張ろうと、東京六大学が注目をあびる・・・この体制が何十年も続いてきた。
 高校野球がなぜ人気を失わないかを考えればわかるだろう。まさに「愛郷心」である。ただでさえ中央集権が続いたなか、東京近辺をのぞく地方(日本の人口の7割強)は我が故郷の活躍をすなおに喜ぶことでカタルシスを得られるのだ。そんな単純なことを忘れ、大都市圏集中を是正しきれなかったプロ野球はついにここまで来た。(日本ハムはえらい)

 はやく気づいてくれ。
 そうそう、ナベツネ氏も近鉄買収をぶちあげたライブドアの堀江氏もともに、東大文学部のご卒業。同じ学部の大先輩・正岡子規氏を立てるためにも、四国は松山坊ちゃん球場へ本拠地移転というのはないだろうか?となると、しばらく投資は必要だろうな…そこまでの覚悟がないと売名行為やといわれるよ堀江さん。(あ、そうか。どうせ買えないから手をあげたのか…なら、ホンマに売名行為やな。だから運営が難しい大阪残留なんていえるのか・・・つい、深読み)


 ※わが国のプロ野球団多かった頃、フランチャイズ制が実施された昭和27(1952)年当時の本拠地を参考までに書いておく。東から順に並べてみた。

 セ・リーグ
  読売(東京)、国鉄(東京)、中日(名古屋)、松竹(京都)
  阪神(兵庫県西宮)、広島、大洋(山口県下関)
 パ・リーグ
  毎日(東京)、大映(東京)、東急(東京)、近鉄(大阪府)、
  南海(大阪市)、阪急(兵庫県西宮)、西鉄(福岡)

 この後、松竹と大映と大映がそれぞれ、大洋・毎日に吸収合併され、現在の12チーム制に。愛郷心旺盛な市民が必死で守った広島の代わりに、京都の松竹が消滅した格好だ。
 また、東京が多いように思えるが、ほとんどの球団が地方主催試合を実行していた。テレビの放映料を気にする現在とは違い、あくまで入場料が主だった収入だったため、どうしても出稼ぎが必要だったようだ。


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