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お笑い社会批判

 最近のお笑いの面白さは、表向きに言いにくい社会批評をうまく織り交ぜている所も見所だ。著作権違反の恐れはあるが、最近の若手芸人のネタを抜粋してみた。
 いずれも、日本テレビの番組・エンタの神様で公演されたもの。以下、やや内容が相違すると思われるが、大意はあっているはずだ。

 インパルス(フェミニストの幼稚園長編)

 ある幼稚園。絵本を読み聞かせようとする男性教諭(堤下敦)がいる。そこに就任したばかりの女性園長(板倉俊之)が現れ、読み方だけでなく話の内容にまで逐一文句を入れてゆく・・・

 教諭(堤下)「昔、お爺さんとお婆さんがいました・・・」
 園長(板倉)「ちょっと待って、そこ必ずしもお爺さんが先かな? あくまで人間同士並列なわけだから、お婆さんとお爺さんでも可なわけでしょ。」
 教諭「ここに『昔、お爺さんとお婆さん』て書いてありますから。」
 園長「ほら、『昔』って。1985年男女雇用機会均等法ってのが成立しているわけだから。なに昔の話してんの?」
 教諭「すみません。昔、お婆さんとお爺さんがいました・・・」

 教諭「お婆さんが桃を切ろうとすると、桃はパカッと割れて・・・」
 園長「ちょっとごめんなさい、お婆さんが桃を切ったのは、お婆さんの意思?お爺さんの指示?」
 教諭「絵本だから、ちょっとわかりにくいですが、絵ではお婆さんから桃を切ってますから、お婆さんの意思かと。」
 園長「あなたとはうまくやっていけそうだわ。」
 教諭「お婆さんが、お婆さんの意志で桃を切ろうとすると、桃はパカッと割れて男の子が飛び出してきました。」
 園長「何で、何で、何で、何で男の子なんですか?確率的は2分の1だから、女の子でも言いわけだから、何で男の子なの。」
 教諭「男の子の物語ですから」
 園長「主役はいつだって男だっていう固定観念が危険だって言ってるわけ。1991年育児休業法っていうのが成立してるんだから。何で昔の話してんのよ。いけしゃあしゃあと。」
 教諭「桃はパカッと割れて女の子が飛び出してきました・・・園長。名前どうしましょう?」
 園長「ジャンヌ・ダルクで。でも桃無視しちゃいけないから、モモヌ・ダルクで」
 
 教諭「そのころ、村に鬼がやってきて・・・」
 園長「ちょっと待って。あなたは分かってるかもしれないけど、子どもたちはわかってないから、鬼は女性を虐げてきた愚かな男どもの象徴だってことをカッコ書きで、言ってあげないと伝わらないから。」
 教諭「そのころ、村に鬼(女性を虐げてきた愚かな男どもの象徴)がやってきて、悪さをしていました」
 園長「その悪さっていうのが、浮気・痴漢・セクハラだってことをカッコ書きで、言ってあげないと。」
 教諭「浮気・痴漢・セクハラなんですか?」
 園長「そうよ。そうじゃない。言ってあげないと、子ども達が変な風に育つじゃない。」
 教諭「そのころ、村に鬼(女性を虐げてきた愚かな男どもの象徴)がやってきて、悪さ(浮気・痴漢・セクハラ)をしていました。」


 ドランクドラゴン(下町のバカ親子・宿題編)

 下町の親父(塚地武雅・格好は職人)が、息子(鈴木拓)に宿題を教えてくれと頼まれる。まず国語、続いて理科となり・・・

 息子(鈴木)「タカ、クマ、スズメ、ツル。この中で仲間外れは?」
 親父(塚地)「拓、お前はどう思う?」
 息子「タカ、スズメ、ツルは羽が生えてるでしょ。クマだと思うんだ。」
 親父「お前はほんとにバカだなあ。スズメに決まってるだろうが。オレの会社にタカ田、クマ田、ツル田はいるけど、スズメ田は居ねえ。まあ、今度入ってきたら、その時にまた考えよう。」
 息子「わかった。じゃあ、スズメだね。」
 親父「待てよ。父ちゃんおかしいと思うんだ。なぜ仲間外れをつくらなきゃいけねえんだ。そうだ、こう書いてやれ。『この中に仲間外れはいない。本当の仲間外れは、問題を作ったあなたです。』って。人に言われなきゃわかんねぇんだろうな。結構効くだろうな、これ。」

 息子「次は、算数。森に5羽のウサギがいました。ウサギのうち、まず3羽が森を出て行きました。」
 親父「おい、残ったウサギたち偉えじゃねえか。この森を守ろうと頑張っているんだ。『ウサギ頑張れ~』拓、お前も応援してやれ。(さらに問題にむかって)『ウサギ頑張れ~』」
 息子「頑張れ~』
 息子「では、森に残ったウサギは何羽でしょう。」
 親父「なんだ、そんな問題かよ。そうだな・・・ 200羽だ。宅地造成とか自然破壊で踏ん張るようなウサギだからよ、一羽で百人力だ。待てよ、もっと凄いかも知れねえ。」
 息子「200羽だね。」
 親父「さらに、付け加えておいてやれ。『理科の問題の仲間外れは作った人そのものです』って。」
 息子「父ちゃん、これ算数の問題だよ。」
 親父「バカヤロウ、算数の人に口コミで広げてもらえ、周りから言ってもらってわかるかも知れないからよ。」


 前者は行き過ぎた女性尊重思想を、園長のこじつけを見せながら揶揄、後者は人間は自然の中に生きる一動物であるという思いを、親父の強引な解釈で語り続けている。

 日本人は批判することが苦手な民族性といわれて久しい。
 方々から集まった(負け逃れてきた?)人間と先住民が、争わず手打ちするか、あるいは住み分けることで共存してきた歴史に原因があるといわれるが、不満や批判のタネはつきなかったはずだ。そんな中で平和的な手段として発達したのが、歌舞伎などの演劇に織り込むやり方と、演芸のネタにして笑い飛ばすやり方である。最近のお笑いブームは、まさに社会的不満がたまってきた証拠であるといえ、しばらくその勢いは続くだろう。
 
 すなおに面白いし、ストレスも解消される。いい傾向だ。
 いずれもこれからが長い芸人。インパルスは両者ともに私よりも年少だそうで、長らくその芸をみられることがより嬉しい。

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テレビ人は辛いよ・・・

 最近良く言われるのが、外国特にアメリカ大資本の日本企業乗っ取りである。直接間接いろいろあるが、顕著なのは金融、プロ野球、情報通信などの業界だろうか。
 さらには、日本企業を名乗っていても、内実は米国の利益を優先しているケースもある。
 分かりやすい例はこの記事だろう。少しでも不利なことがあると、米国の有力者に泣き付いて圧力をかけてもらう。虎の威を借りる禿、大変失礼、狐といわれても仕方がない。まあ、敗者の立場を60年も日本が引きずっている以上、この構図は解消されないのだが。

 もう一つ気になるのが、マスコミの外国人支配である。
 今の世は資本主義。資本=元手=株だから、株を握れば握るほどその企業への発言力が高くなる。
 私もある東京キー局の零細株主だが、いくら放送法で定められた「外国人株主の議決権比率が全体の20%越えない原則」を守っている(それも19.9%とかギリギリ)といっても、どうも信用できない。代理で株を持つ日本法人を作れば、どうにでもなる。
 このため、テレビを中心としたマスコミは、米国を中心とした諸外国の報道についてどうしても弱腰になってしまう。

 最近話題のNHKは株式会社ではなく、その株主に当たる存在は日本政府といえる。
 ということは、主管官庁の長である総務大臣あたりには文句を言われて当たり前であり、放送法にもそのような事が書かれている。(といっても、番組内容の詳細にまで口出ししなさいとは書かれていない)→NHK・関根昭義放送総局長の説明(朝日新聞から・笑)

 もし、中川昭一安倍晋三両氏がNHK側に意見していたとして、問題点があるとすれば、口出しをして良い立場にあったかどうかだ。2001年当時閣僚ではなかった中川氏はアウト、官房副長官の安倍氏はグレーゾーンだろう。この点では批判されてもおかしくないが、朝日新聞の論調はあくまで「政治圧力が悪い」の一点張りしかないようだ。(政治家の小さな動きでも「干渉」と捉えることは「報道の暴走」と指摘され、かえって「報道の自由」を奪われる口実にされてしまうのでは・・・)

 別に中川氏や安倍氏が好きではないのだが、どちらかといえば両氏に同情的である。
 やってること良し悪しは別として、日本政府の悲しさは味方についてくれるマスコミが一つもないこと。先に述べたように民間放送は資本を握られている上、合法的にモノがいえるNHKとのやりとりまでこういわれては立つ瀬がない。

 6つもあるテレビ系列の一つぐらい政府系があったほうが、国民にとって情報の選択肢が広がるはずだ。 NHKか朝日のどちらが悪いかというよりも、マスコミ全体から発信される情報のアンバランスさに危なさを感じている。マスコミの論調が一方的か両極しかないというのは、あまりに恐ろしい。(その分、ネットが元気やったら良えんかも。)

 有形無形の圧力と戦う、テレビ業界人たちの奮闘にあらためて敬意を表したい。 

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オレの大学イメージ?

 本日、明日と大学入試センター試験が実施される。私の頃とは違い、受験人口そのものの現象に伴い、各大学ともに門が少しは広くなっていることだろう。
 ・・・というわけで、まだ大学別の出願は間に合うだろうから、知り合いのOB(もちろん複数以上)から受ける私なりの大学イメージを勝手に書いてみる。ただし、学問的にも統計的にも何の裏づけもないから、参考にはされないようお願いする。[だったら、書くなて(笑)]

 (以下、大学名はアイウエオ順)

 【知恵者】
  関東:亜細亜、法政
  関西:関西、京都産業

 【知識人】
  関東:上智、早稲田
  関西:京都、神戸

 【しがらみにとらわれにくい】
  関東:専修、東洋、立教
  関西:龍谷
  その他:信州

 【熱く生きる】
  関東:一橋、駒澤
  関西:同志社、近畿
  その他:東北(特に理系)

 【落ち着いた】
  関東:慶応義塾(三田)
  関西:神戸女学院

 【広い視野?】
  関東:青山学院、東京女子、中央
  関西:立命館(衣笠)
  その他:

 ・・・と、ここまで書いて見たが、
 所詮は私の接した範囲での印象、一部をとらえて判断した内容に過ぎない。主観だ。
 結局は自分自身で合う大学を見つけることが良い人生の近道であり、まわりの雰囲気や既存の風評だけで決めないことが肝心である。

 そう、これが言いたかったのだ。

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怒られているヒト

 まず、年賀状はどうにか遅れて転送されている模様で、11日にも旧住所のものが届きました。重ねて、皆々様のご厚情にお礼申し上げ、ご多幸をお祈りする次第です。

 最新の話題から気になることを。
 各地で異常気象や地殻変動が続き、地球の自転まで早くなって1日が短くなったそうです。まず、被害にあわれた方々にお見舞い申し上げるところですが、同時に、自然と調和する本能を忘れてしまった生物・ヒトに対する『地球の怒り』なのかとも感じます。

 そんなことを考えていると、「流れに掉さす」の本来の意味を思い出しました。川の流れに沿ってうまく棹をさしつつ舟を進めていく、まさに調和を重んずる格言とのことです。
 ところが、ここ100年の我々ヒト族を思えば、掉さして流されるどころか、逆流してしまいには勝手に川岸を削って水路を作っているようなものです。化石燃料(石油)、金属、水、食物連鎖(=無理に太らせた動物を食べる)、大気汚染・・・消費ばかりしている。削って壊すことがどうしても目立ってしまう。

 そら、地球も怒りますわな。
 「お前ら何か返したんか?ええ加減にせえ。」

 とはいうものの、これを書いている間も己は電気を使っている。暖房もつけている。恐ろしく身の矛盾を考えながら、内心「成るように成れ。ただ無茶はしたらあかん。」との決着をもつけているこの頃です。
 自己主張も当然必要ですが、地球の流れに掉さして生きていくことがまず大切なのではないかと。怒られないようなヒトがどれだけ増えるかがこれからの課題ですわな。

 えらい、オッサンくさい話になってしまいました。
 あ、そういえばここまで「環境」とか「エコ」って言葉を使うてへん。我ながら凄い(笑)。

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「あて先不明」年賀状につきまして

 あらためて新春のご挨拶を申し上げます。皆々様には幸多き年をお迎えのことと存じます。

 毎年、年賀状をくださる方々には心より御礼申し上げます。
 しかしながら、私が昨年三月まで住んでいた旧居の住所宛にお出しくださった年賀状につきまして、転送扱いとされずに、各位様に「宛先不明」として返送されている恐れがございます。お気づきの点はございませんでしょうか?

 旧居も現在の拙宅もいずれも同じ集配局の管轄内ですので、転送処理には一日とかからないはずですが、宇治の実家へお出しくださった方が意外にも多かったため、皆々様にご状況をお伺いするものです。
 転送願いは昨年3月17日付けで提出しており現在も有効であることから、郵便局側の事故があるのではと憂慮しております。(旧居に住んでいたころも、地方公共団体差出の郵便物が不達になるなど、同集配局の業務には疑問点が多かった事もあります。)

 もしそのような状況がございましたら、ご面倒でなければ近藤までご一報願います。

 のちほど、宛先不明となった賀状を引き取らせていただき、その結果が極めて不審である場合は、郵政監察局などに通報する予定です。(集配局にはすでに不達の恐れを注意しており、2日以降の配達については疑いもないものと期待したいです。)

 もちろん、転居の連絡を差し上げなかった私も不丁寧とのご批判を受けて当然です。
 無沙汰をお詫び申し上げるとともに、重ねてご協力をお願い申し上げます。

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楽しむべし。

 昨年の暮れのこと。縁あって、映画「スウィングガールズ」の出演者たちが演奏するコンサートを観た。
 映画自体は、女子高生中心のジャズバンドが出来る過程を面白く描いた作品で、若い女優さん達をゼロからジャズバンドに育て上げて撮影に挑む。
 ようやく曲になってきた所で、矢口史靖監督が「いい演奏してるね」と誉めたそうだ。ところが、主演の上野樹里さんなど本人たちにすれば、後で録音を聞いてみると明らかに下手だと自覚できる頃だったという。

 そう、演奏している姿が楽しそうだったから、矢口監督は誉めたのだ。
 彼女(彼)たちは、職業上の理由から演奏技術を身につけようとしていた。やがて、『素直に楽しむ』(この表現は上野さん自身が良く使う)うちに、わずか3、4ヶ月でものになり、何曲ものレパートリーを持つまでにいたった。

 与えられた立場や仕事を楽しむ。
 これこそ、今の人々に忘れられた知恵ではなかろうか。いや本能ではないだろうか。

 私の仕事はいたって地味なもので、ある情報サービス業のお客様センターにて、システム企画からセキュリティ対策の立案・実行、PC機器周りの調達手配までを行う。スウィングガールズ・アンド・ア・ボーイの若者たちに比べれば、観客の喝采を受けることもなければ、むしろ現場スタッフにうざったく思われかねない。
 だが、安定して安全なサービスを提供する上では欠かせない職務である。お客様方には目立ちにくいが居なければ不在がばれてしまう裏方のパートといえ、バンドで言う所のリズムセッション、キーボードやベース(ギター)にあたるだろう。

 その裏方配役にあたる白一点、キーボードの平岡祐太さんも実に楽しんでいた。
 もっとも、私よりは目立つ位置にいるのだが、自分の演奏がない時間帯も大きく手拍子を叩き、客の盛り上がりを絶えず誘っていた。

 楽器演奏は「楽」の字がつくぐらいで、一般の職業とは比べ物にならないぐらい楽しい。
 だが、職業それぞれには何らかの意味があり、何らかの楽しさが必ずあるはずだ。
 流れ作業の工場だって、いつもより多く物ができたり質が高くなれば楽しいはずだし、清掃局の仕事にせよ「オレがゴミを集めてやってるんだ」と誇りをもてば、さらに楽しいだろう。
 
 人間、「隣の芝は青い」というやつで特に他人のほうが良く見えてしまいがちだが、分限を知るというのか、自分の今ある立場に楽しさを見出すできれば意味を見出すほうが、人生が深くなる。
 もちろん、自己欺瞞するかのように、その職業の矛盾点から目をそむけるまでに楽しもうとするのはよくない。せめて、職業目的に応じた自分なりの小さな目標を日々立てて、実態との差を楽しみたいものだ。たとえば警備員なら、「今日はここに注意しよう」というふうに。もし達成できなかったとしても、次の工夫に使おうと楽しめばよい。

 人々それぞれに有るはずの幸せや楽しみの基準を大切していく。
 今年はそんな心がけが世の中に戻ってくると嬉しい。まず自分から始めようと思うこの頃だ。

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