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大人になれば・・・

 「あいつはまだ、青春の最中や」
 と大学時代の先輩にぼやかれた。

 正月早々にかかってきた電話は、ぼやいた先輩が営む飲食店に雇われた別の先輩が、就職3ヶ月にして姿を消したとの知らせだった。いろいろと事情があったのだろう・・・。
 任された店を彼が放り出したことで生じた損失は数百万円。会社組織ではない小さな「個人商店」にとっては、相当な負担である。事情や行方を両者共通の知人である同級生に聞いても埒があかず、とうとう後輩である私の元に聞いてきたというわけだ。

 そういえば、消えた先輩は就職活動をしたことがない。というのは、今回の飲食店も前の職場も学生時代のサークルの縁を使ったものであり、いわゆる身近のコネだけで入っている。
 幾多の職を渡り歩いてやっと開業した先輩にすれば、そこが「甘い」と思うのだろう。最低限の競争を避けて生きてきたとしか考えられないらしい。
 さらに退職届はおろか、本人からの連絡が一切ないことを、「不義理」と先輩は責める。さすがにこれは大人の行為ではない。新たな人脈を築こうとせず、学生時代の仲間うちだけに頼っているから、青春の甘さも残ろうというロジックだ。もう、納得するよりない。

 わが父も個人事業主であったから、逃げられた先輩の気持ちはなんとなくわかる。
 運転資金がなくなればおしまい。税を払うのも自分の甲斐性で決める。そして家庭を持っているならば食わせる算段もつけねばならない。
 子どものころ、なぜか裏通りにあった宇治の税務署に連れて行かれたことを今でも覚えている。「小学生のせがれが居ますから、そこをなんとか」と税務署員に訴えたかったのだろうか。あるいは、子どもの私への教育だったのだろうか。自分を「お前の反面教師になればよい」と言って憚らない父にとって、どっちでもよかったのかもしれないが。
 
 「大人になる」というのは最低限の責任感を持つことかと思う。すでに三十路の私が言ってもしようがないが、給料をもらったり、何かの利益を受ける権利を得る以上は、対価となる責任を果たさねばならない。ただし、権利と責任の規模は各人で決めればよい。

 どうも、姿を消した先輩は、そのバランスがおかしかった。
 コネで入れてもらった以上は、引き合わせてくれた知人友人に義理を果たす責任はあるだろう。結果として前の職場は辞め、さらに飲食店まで止めてしまった以上、「大人」ではないといえる。同級生でもある上司に厳しくされた結果、意地の晴らしようがなく出て行ったとしても、同情の余地は少ない。

 では、少ない責任負担で済む生き方でも良いのではないか。

 結局、わが父は経営者であることを辞め、仕事をくれていた親方の一人のもとで働いた。独立状態を諦めたといえば聞こえは悪いが、要は身の丈にあった楽なライフスタイルを選んだといえる。
 その後、親方の二代目が会社組織に改めた際は役員の一人になったが、これまでと業務負担がさほど変わったわけではない。自分が持てる責任範囲で仕事をしているのだろう。
 私生活を見ても分かる。週末は野球、晩は酒と読書の毎日は、還暦を過ぎても一切変わらない。母は父の習慣に文句を言わないかわりに、しょうもない小言を投げつけては、生活リズムの乱れを正している。それで、うまくいっている。
 
 消えた先輩は何をおもって、同級生が営む飲食店を去ったのだろうか。
 やはり、同級生同士なのに己の意見が通らないことに憤ったのだろうか。だとすれば、コネ就職の割には無理をしているような・・・経営者は責任が重い代わりに、意見を通す権限も大きいのが普通である。

 先輩たちの角逐を思うと、父の生き方もまたありと思えてきた。

 大人になれば、己に適した責任範囲がわかるらしい。
 って、俺もう30歳やっちゅうねん。

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