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昭和10年代の日本を映したカラー映像

 俺の子どもの頃は、「戦前は悪いもの」と教えられた。
 もちろん悪い点はあっただろうけど、この映像を見る限り、伝統と新しさが共存・融合している姿があまりにも誇らしい。

 六本木ヒルズなどを見上げると、戦争を知らなくとも
 「ああ、負けて日本は引きずり込まれたんだな」と冷たい気持ちになってしまう。

 法の網を無視して利ざやを追求する、道義も情緒もない世界。
 
 一方的な富や力の搾取は、やがて自分が消費の対象とする存在を弱らせ、自分自身も窮地に陥る。つまり、単「循環」の原理を無視した人々。日本や東洋の伝統には少なかった存在だろう。(まあ、一部の華僑とか倭寇とかはおいておいて)

 すでにある良い面は残し、それ以上に良い点は外から取り入れればよい。
 その自主的な判断こそが活力であり、仕上がったものに誇りが持てるはずだ。

 最近は、何もかもを外の基準に頼ろうとする人々が多いのではないか。さらに、自分が基準を作ろうとする側に立てば、西洋のルールを握りたい方々とのバランスもとれるだろうが、そういう気概のある人も減ってきた。

 小さな話ではあるが、俺は仕事をする上でも、良い部分や変えると混乱が生じる部分は残し、それ以上に良い点を外から得るように心がけている。「業務フローの改善」などを考える時がそうだ。

 が、システム企画などを見ていると、一方的に要求をあげるユーザーと、すべて飲み込んでなんとか解決しようとする開発者のやり取りに出くわすことがある。開発工程を終えても、まだ真面目に要求をあげるユーザー、真剣に取り組んでしまう開発者。ユーザー要望という一方の完璧を目指せば、欲を語りつづければ、その終わりはない。
 結果、つかの間の安定もなく長い混沌が続いている。「まずここまでは完成させましょう」という歯止めがないのだから、一向にリリース日を迎えない。
 再開発の連続で、まとまりを欠いた東京の街のように。

 極端な議論が好きな人が目立つ。
 郵政を含むなんでも民営化志向とか、高税率を伴うなんでも公的負担とか、全く抵抗力のない非武装中立、逆にちゃっかり侵略を認めてしまっている軍隊の保持とか、両極ほど怖いものはない。

 なんだか、この頃の日本はバランスがあったように思う。
 太平洋の向こうの新興国に挑発されて戦争を仕掛ける、わずか数年前の話だ。

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