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働く理由について(人材業界と京都市左京区のみなさん必読?)

 ドラマ・ハケンの品格、実に面白かった。
 「数字」と「時間」と「資格=効率」でしか表されない、現代における労働事情の矛盾をあからさまに書いている。篠原涼子がスーパー派遣社員・大前春子役を好演して、しっかりとアンチテーゼの発信役を務めてくれた。

 さらに忘れてはならないのは、小泉孝太郎が演じた里中賢介主任が発している重大な問題提起だ。
 あの戦争に負ける前までは、多くの日本人がもっていた「働く理由」を彼は持ち続けているのである。

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 有名な人材関連企業に勤める友人から聞いた話だ。

 『(生きるためとか、家族を養うという理由以外に)世の中の人は「憧れ」で働く気力を上げている。トヨタであれば世界にはばたく誇り、すなわち良質で安い車を行き渡らせる喜びで、働いている。が、ヤマト運輸のように全国津々浦々に宅配網を持つといった目標を達成してしまった企業は、代わりの「憧れ」がない今、相当に悩ましいことだろう』

 ふと感づいた私は、彼にこう聞き返している。

 『「憧れ」よくわかりますよ。IT業界だって数年前はそうでしたし。でも、その昔、「憧れ」がなくても、世の中の人がしっかり働いていたのはなぜでしょうね…?』

 すると、彼は悩んだまま、答えが出せなかった。
 が、家に帰ってから少し考えた私に、案外簡単な答えが思い浮かんだ。

 そう、

 「公共心」が最大の働く理由であった。
 
 昔は働きに出ることを「奉公」といった。
 読んで字のごとく、公=社会に奉り仕えることである。
 また、”働く”の語源は、”端(はた)を楽(らく)”にすることからきているとも言う。

 理不尽が上司が居ようとも、多少給与評価(そんなものはあまりなかったかも)が悪くとも、小さくとも自分が社会のために役立っていることを誇りにして、働こうと。

 ハケンの品格に話を戻すと、小泉孝太郎演ずる里中主任はしきりに「社会のため」を気遣って働いていた。売り出す弁当箱への米プラスチックの採用(再使用かつ生分解可能=環境問題)や、派遣社員に対する処遇の改善などなど。
 たとえ同期の東海林主任(大泉洋)に仕事を横取りされようが、「公共心」が先にあるから、『誰がやっても実現すればよい』と全体論で考えられるのだ。(あくまで役中の設定ではあるが)


 よく聞く転職の理由はおおよそ、「公共心」の逆である「私欲」ではないだろうか。
 
 ・正当な評価が得られない
  (評価する奴が「私欲」だからどうしようもないか)
 ・もっと収入が欲しい
  (よりひどい収入格差が持ち込まれたからしかたがないか)
 ・楽に仕事がしたい
  (楽な仕事を「いいこと」だと宣伝するメディアが多すぎるw)

 うーん、段々と悪い方向にいっているような。

 東大法学部出身の国家公務員一種試験の合格者ていうか受験者が減っているらしい。そもそも国立大学には、国家の税金つまり公共の財産を使って学問をする以上、その多くは公共の職業について欲しいという、暗黙の了解があるはずなのに、崩れてきている。
 防衛大卒業生の自衛官任官拒否よりははるかにマシとはいえ、どうもせつない。

 私の世代いや、団塊世代より始まる「公共心」の薄さは、やはり敗戦後の教育改革以来の問題点なのかもしれない。マッカーサー率いる連合国軍によって、修身を始めとする情操教育が大幅に削減されてしまったのが、ことの始まりのような気がする。


 そういえば、これに似た話を別の友人としていた。

 吉田健一という学生時代からの友人で、ちょうど似たような話がWeb 上に残っていた。
 教育問題に関して、何件か書いている。

 吉田健一(松下政経塾当時のサイト)

 ちょうど、今回の京都市議選(左京区)に立候補するというから、「公人」扱いにして名前も公開してもいいだろう。


 『もし総理以外の大臣になれるんやったら、どれがええ?』
 と吉田健一と話したことがある。

 彼は当然、文部科学大臣。
 対して、俺は総務大臣と答えた。

 『何でや?』と聞かれて、
 『大体、そういった問題点はメディアがさらに深めている面もあるでしょう。各マスコミがある大勢力に脅されたかのような記事や番組作りをする状況を、まず打破してやらないと。それからまじめなコンテンツも育つんとちゃうかな…』

 吉田健一は非常に納得してくれた。

 その彼が無所属で京都市議会議員選挙に挑む。
 彼の「働く理由」に共鳴できた方は、ぜひ応援してやってほしい。

 

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「改革バカ」の正体とは?

 サントリーウィスキー角瓶のCMで、鉄道ファンとしても知られる名優・原田芳雄氏がいい味を出している。

 変われ変われの
 大合唱があ
 耳に五月蝿(うるさ)て
 しょうがない

 と、角瓶をロックにしたグラスを持ちながら、原田氏が唄いまわす。

 さすがはサントリー、いいセリフで迫ってくる。
 今では電通や博報堂が中に入っているのかもしれないが、その昔は開高健や山口瞳などの後に有名作家になる宣伝部員を有していた会社だ。なおセンスがよい。

 話がそれてはならない。
 ここで問題にしたいのは「変われ変われの大合唱」の部分だ。

 どうも、私や第二次ベビーブーム世代を含む、いわゆる1970年代生まれの人間は、どこかで自分を追い詰めていて、その理由もなく「変わらなければ、変わらなければ」と自問自答している傾向が強い。
 これが自問自答であれば、他者に迷惑をかける心配はないのだが(自殺の恐れはあるが)、その親の世代である団塊世代(1947年~1949年度を中心とする)であれば、本当に「変われ変われ」と他人に吹聴、いや強要するケースが少なくない。早い話がそういう世代の親だから、1970年代生まれは今もなお、苦しんでいるといえるのだが。

 では、団塊世代がどうして「変われ変われ」を叫ぶのか。
 もう言い古されてきたことだけど、簡単にまとめてみる。

 1.多すぎる同世代から抜きん出るために「変わる」癖をつけてきた。

 2.就職した頃(1970年前後)=下積み時代にはすでに高度経済成長の道筋がついており、さらに業績を伸ばせと先輩たちに強いられ続けた。

 3.下積みのない職業についたものは、「変われ変われ」と年の上下に関係なく部下たちを激励、いや叱咤することからその社会人生活が始まってしまった。若いうちに身につけた「変われ変われ」と締め付ける態度自体は変えられない。(苦笑)

 早い話、3.が大問題なのである。

 下積みのある人々ならば、指示を受ける立場での動ける加減や庶民感覚などを味わってから、管理職や指導者、経営者に上がっていくわけだ。つまり、さまざまな視点のバランスをとりながら、「変われ変われ」の欠点を補うことができる。
 しかし、下積みがなければ、そのバランスがない。発想や指導は自分で、成功しなければ実行者である「下」が悪いんだと思えてしまう。「下」を切ったり入れ替えたりして徹底してサディズムを押し通して、うまく言ったときだけ自分の手柄にする、なんて発想になりやすい。
 しっかりした帝王学などを学ばないままに、下積みのない社会人生活を始めた方々はまことに残念ながらそういった罠にはまり、「下」には陰で嫌われ続け、大した業績も出せないままに引退されるのが普通のようだ。「下」にすればなにも良いことはない。

 表題の「改革バカ」は、下積みなく指導者や経営者になった方々に”稀に”みられる。

 もちろん、改革が必要なときがある。
 だが、周囲も自分も良くならんとする目的があってこそ物事は変えるもので、単に己の業績や手柄欲しさに「変化」を求めるのであれば、まさに「改革バカ」である。「改革」のなかには、「改悪」だってあるのだ。必ずしも「変わる」ことが良いとは限らない。

 ある会社で、社長だが副社長だかが、
 『明日までに改革案を出して来い』
 と各部署の管理職をどなりつけて、徹夜出勤させてしまうことがあったとする。
 
 問題点があって「変える」のならいいが、そこまでして「変える」をたたき出した場合、検討期間があまりにも少ないことから「改悪」を引き起こす可能性もある。
 もっとも、だらしない管理職を引き締めるために、わざと試してみたというのならわかる。もし、深謀遠慮なく徹夜出勤に追い込んだというのなら、まさに「改革バカ」ではないだろうか。


 とはいえ、残念ながら「改革バカ」が経営者にいる会社でも、十分に持ちこたえるケースがある。管理職以下が経営陣の「無茶」な発想をしっかり骨抜きにして、現実化してしまうことがあるからだ。

 『売上高を倍に』
 時代の流れの後押しがあれば可能だが、そうではない時は、合併して事業拡大するとか利益率を無視して生産増大・営業拡大をしてみればよい。

 では、わかりやすく…

 『ブログのページビューを倍に』
 リンクを貼る数を際限なく増やし、宣伝する。

 力技ならできないことはないのだ。
 ただし、その源である資金や労力には限りがある。

 特に後者の「労力」の限界は下積みがないとわかりにくい感覚であり、はじめから「上」にいる方々は『やれるだろ』と、平気で指示を出してしまう。ねぎらいの言葉をかけたり、気をつかっていればまだいいが、「下」にいたことがないのだから、そんな心配りは一切期待できない。
 彼らも不幸なのだ。本音では「上」にいたくないかもしれない。能力が追いつかねば威張り驕るよりほかない。
 で、普通に賢い人なら「下」がバカに見えてしまい、やはり態度が大きくなる。
 結果、部下たちが離れていき、より現状把握ができなくなる悪循環に陥る。
 
 本当に賢い人であればちょっとへりくだって、より賢い部下に任せるところだろう。
 もし俺が経営者とかリーダーの立場になれたなら、そういった態度をとりたいところだが、下積みから始めている以上、下積みなく社会人生活を始めた方々からはすでに遅れている。


 そもそも、下積みをさせずにリーダー層を作る組織が存在すること自体がおかしい。
 
  警察での国家Ⅰ種合格者の取り扱い
  キャリア官僚が地方庁舎に行くケース
  親会社社員が子会社に行くケース
  名家の子弟が、格下の企業団体に就職するケース
  一部インフラ系企業における、旧帝大出身者を優遇するケース

 枚挙に暇がない。
 先述のように帝王学が施されていたり、本人が謙虚であったり、あるいは視野を広げた研鑽をしていればよいのだが、全てがそういう人材であるとは限らない。
 幸いにして試験で受かってしまったり、親などのコネを使えてしまった結果、下積みや下積みに変わる研鑽を経ずに「上」に上がってしまった方々は随分いるのではなかろうか。どうか、一部であると願いたい。


 滅多なことでは存在しないとは思うが、
 純粋な「改革バカ」が身近にいるのであれば、非常に不幸なことだ。
 お悔やみ申し上げます。

 もし戦国時代なら、さっさと毒を盛ったほうがいい。
 あ、織田信長公もそういう扱いを受けたのかもしれず、
 結構、喜んだ人も多かったんやろう。

 以上、お粗末でした。

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タダほど怖いものはない?

 英BBCが番組を提供 米の動画投稿サイトに(共同通信)

 英国国営のBBCとYouTubeに限らず、朝日新聞による「ezweb」への記事提供など、最終利用者にとっては閲覧が無料になるニュース配信形態は後を絶たない。

 その記事の掲載によって、サイトやメディアを運営会社が得た広告収入や接続料収入のうち、コンテンツ使用料としてマスコミ各社が利益を得るのが一般的な形である。
 しかし、逆にマスコミ各社が料金を支払ってまで、番組提供をしているケースもあるだろう。

 BBCと朝日の両例が当てはまるかどうかはわからないが、掲載料を支払ってまで記事や番組を配信するメリットは少なくない。いずれもその配信メディアがすでに顧客を持っていることが条件だ。

 1.記事提供元=マスコミの存在自体を宣伝
   →間接的に本収入(受信料や購読料)に結びつける
 
 2.ある一定の意見や発想を周知する。

 単純には1.のケースが多い。
 が、注目すべきは2.であり、『タダほど怖いものはない』という原則は常に忘れずにしたいものだ。

 卑近な例では、宗教団体が発行されている新聞の無料提供などがそうだ。これはわかりやすい。信者獲得という意味では1.も含まれるが、発想の刷り込みを狙ったことは言うまでもない。
 古い例では映画館の映像ニュースもそうだったといえ、戦争中は政府側の宣伝にも使用されたという。

 BBCに話を戻すと、やはり「大英帝国」の立場や思想を広める狙いがプンプンとにおう。かの国はアメリカに世界帝国の座を追われてからもう50年以上もたつが、この星で相対的に高い立場を保つことに意欲を失ったわけではない。
 そこへきて、軍事情報技術をそのまま民生用の、いわゆる「IT」に転換させたアメリカは、情報の拡散能力(=思想の押し付け能力)でも今のところ世界一になっている。この状況はアメリカの『元宗主国』であり『元師匠』である、英国としては面白くないだろう。頼むからもう少し穏やかでいてくれと思ってもおかしくない。ユーロにも参加しない誇り?がそうさせるはずだ。

 アラビア語圏の衛星放送局・アルジャジーラに対するBBCスタッフの支援もその一環であろう(あくまで、カタール首長による大量引き抜きではあるが)。アメリカは石油を大量購入できる唯一の紙幣「ドル」の発行権を握ることで覇権を保っているといえ、アラブの現地人自身が独自の情報発信源を確保すれば、アメリカへのけん制になる。
 国連とか表の場で堂々と対米非難をできるフランス(=早い話、食料自給が可能)に比べて、サッチャー政権以後のイギリスはさまざまな部分で遠慮せねばならない状況が続いている。行きかがり上であったとはいえ、元BBCスタッフによるアルジャジーラの立ち上げ参加は、間接的な抵抗として良案だったに違いない。(もしかすると、表向きを「行きがかり」にしただけで、当初から英国政府は支援する意思をもっていたかもしれない。)

 フランスも国営の国際ニュース専門局「FRANCE24」を立ち上げた。のぞいてみると、フランス語、英語のほか、なんとアラビア語まである。

 アルジャジーラへ間接支援といい、FRANCE24のアラビア語対応といい、どうもアメリカの急所をつく狙いがあるのではないだろうか。

 折りしも、NY株は急落中。実は日銀の利上げが影響しているのが遠因らしい・・・
 って、そうか。日本は世界最大の債権国、資金の貸主だ。その本国で利子が上がったとなれば、日本国内での超低金利運用を嫌って流れた資金が日本に戻ったり、あるいは日本で超低金利で借りた資金で中国や米国の株や債券に投資していた動きが鈍る可能性が高い。
 →したがって、投資継続への不安から債務両国の上海NYあたりの株は暴落、ということらしい。しっかり対ドル円も高くなった。(対ドル100円までは日本の輸出産業は耐えられる構造であまり心配はなく、そのうえドル圏からの企業買収が困難になる。貧乏人にとっては、さまざまな外国物資が安く買える。悪い話ではない。)

 そこで、英仏両国が実施中?の、アラビア人への情報工作をつなげてみるとどうなるだろう。
 先ほども言ったように、今やドルにおける信用の源は「石油との引き換え能力」である。いやそれしかない。経済大国としてのアメリカはすでになく、金融とかITとか軍事産業とか直接衣食住に結びつかないビジネスは優位を保っているが、そのほかの民生産業では日本やアジア圏に完全に台頭を許している。米国内でさえ乗用自動車の売上高はついに日米の差が数パーセントに縮まったという。→参考記事

 ドル信用の最後の砦は石油である。しかもアラビア半島の石油である。
 だから、アメリカは死に物狂いでイラクを押さえているが、アルジャジーラやFRANCE24の影響かどうかはわからないが、現地のアラブ人によるレジスタンス(武力抵抗に限らず)は後を絶たない。

 じゃあ、日本人は何をすればいいのか。
 粛々と目の前の仕事をこなせばよい。どこかで世界のビジネスと繋がっているはずだ。
 高品質な日本産業を支えることで地球の政治経済バランスを保って、環境破壊が欠かせない経済循環とライフスタイルを続ける某大国の力をじわじわと弱めてやればよい。日本人はゆっくりと片棒担ぎをやめてやればよい。(『不都合な真実』が一番観られてないのは、アメリカやろうなあ・・・)

 イギリスの次はアメリカ。その次は…
 

 そのほかの参考:
 株式日記 3/2版
 アルジャジーラ・日本語版 

 あ、アルジャジーラの放送機材はソニー製、NHKが払う映像使用料も相当貢献しているらしい。なんだ、すでに日本も援助しているのか(笑)

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