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あなたは、誰の話を信じますか?(朝日の安倍批判を考える)

 このところ、朝日新聞の安倍首相批判がまた目立つ。

 安倍首相:長崎市長銃殺事件に絡む「週刊朝日」記事に激怒…毎日新聞
 週刊朝日報道を安倍首相が批判…朝日新聞(簡単なお詫び文つき)

 たいていの場合、ひいきの新聞やマスコミが「アイツは悪い」と書き立てれば信用したくなるだろう。実際、2005年の前回衆議院選挙などは、都市部の自民党躍進にその効果があらわれた。

 というより、「日本をあきらめない」などのネガティブコピーを採用してしまった民主党の自滅とも言える。もしかしたら、そのコピーを使うように仕向けたのが、小泉政権や小泉を支える勢力(赤坂に大使館をもってる国とか)だったかもしれない。謀略は権力と金につきものである。
 ちなみに、このコピーを使わなかったある民主党現職は、前回と同じく比例復活による当選ながら相対絶対ともに得票数を伸ばした。その進言をした広告代理店社員(当時)は、今回の統一地方選で自ら当選している。優秀な男だ。が、名前は挙げないでおこう。(本人の了解が得られたら、公開します。よろしく。)

 余談が長くなった。
 要は、数々の情報が信用できますか?という話をしたい。

 大学時代から某社従業員である今まで、10年以上も「情報の取り扱いや判断」を課題にしている私だが、多くの人々にはどうしても取り払いがたい壁があると思っている。

 『信心の壁』といってよいのだろうか。
 「あの人なら間違わない」といったある種の信仰が、飛び交う情報への判断力を失わせている現状はなかなか変わりようがないようだ。信心の対象となる情報源による肯定否定を絶対として、そのほかの情報源の内容を信じなくなる、あるいは見向きもしなくなるケースは決して少なくない。部分的には私もそうだし、このブログをお読みいただいている皆さんにもその傾向はあるだろう。
 が、「人間とはそういうものだ」と自認していれば、常に修正は可能である。それが『信心』とか『信仰』のレベルまでいたった場合は、必ず別の『信心』を持つ人間との争いの原因になる。その延長が戦争だという現実は、十字軍遠征にせよ、わが国の一向一揆にせよ、アフリカ各国の内戦にせよ、イラク戦争にせよ、これまでの歴史が証明しているので、いちいち書く必要もないだろう。

 というわけで、『信心』の対象となる情報源の事例を、あげてみる。

 1.信者にとっての、重鎮による言動や宗教法人機関紙(「新聞」を名乗る事例も多い)
 2.支持者にとっての、芸能人やカリスマの言動、政党を含む各種団体による機関紙など
 3.一部知識層にとっての、一部の一般マスコミ(特に青少年時代から慣れ親しんだ)

 1.はまだ良い。『信心』ということが自他ともにわかりやすいから、対応できる。ムスリムがメッカへの礼拝を忘れず、時には断食する習慣を持つ姿をみせているのと同じように、「そういうものだ」と周囲が理解してしまえばよい。2.についてもまあわかりやすい。

 だが、3.の場合は『信心』ではなく「科学的に分析した結果である」と思い込んでいるケースがあるから怖い。仮に信心をお持ちの方を論破したとしても、「ダメなものはダメ」というのか、今後のコミュニケーションをとってもらえなくなることが多い。
 それに「知識人」だからタチが悪い。自分の主観で「私は知識人だ」と思ってしまえば、知識人である。その私が選んだ情報源だから間違いないということだろうが、特定の情報源に情報選択の判断を委ねてしまっている時点で、自分で考えることをやめたとも言える。
 つまり、盲目的な情報判断の委託は、ほとんど『信心』と変わりはない。


 朝日新聞は、その当時の風潮にあわせることで、事実上の『信心』を獲得してきたマスコミである。 その事例として、大東亜(太平洋)戦争当時、ある特攻隊員の日記(つまり遺書)と朝日新聞記事との対比を載せた記事があった。引用してみる。
 
 海軍少尉候補生 大塚晟夫

俺の回りには十数人がゴロゴロ寝ている。之が皆生神様と新聞で言われている連中だ。俺もその一人だそうだ。新聞なんて馬鹿なことを言うもんだ。人間が命懸けて死なそうとするのが新聞だ。報道班員だ、何だと言う連中こそ愧死(きし)すべきだ。新聞紙上を賑わす様な死に方は俺は真平御免だ。遊び半分で死ぬんじゃないからね。
俺は昔は新聞紙上で勇壮な記事を見て感動したが、今静思するにあれは驚くべき錯誤だね。黙ってニッコリ笑って自己の本領を発揮して新聞記事に載らない人間が如何に多く、そしてそのような人等こそ本当の偉人だということを俺は知っている。俺は新聞なんかに載せられて茶化されんのは厭だね。(略)
はっきり言うが俺は好きで死ぬんじゃない。何の心に残る所なく死ぬんじゃない。国の前途が心配でたまらない。俺の抱いている爆弾は君等を守る爆弾だ。それを俺が実行しなくて誰がする。

昭和19年11月14日東京朝日新聞の記事より

陸海の神鷲 相次ぐ必殺の体当たり
「出発の時は迫った。4名の荒鷲は参謀長に直立不動挙手の礼も凛然と『田中曹長以下4名只今出発します』の一言を後に愛機に向かって静かに歩み始めた。『おい隊長殿の仇をしっかりとるのだぞ』と言う田中曹長の声を最後に機上に上る荒鷲の胸に抱かれた白木の小箱の純白がこの還らぬ出撃行を一層神々しいものにする。『曹長殿』と走って来たY軍曹が機上の曹長に隊長の遺影を手渡した。『お前もすぐ後から来い』といわれてうなづく軍曹の頭には爆傷を蔽う白布が痛々しい。やがて爆音と共に隊長機が発進した。続いて二番機、四番機がまだ明けやらぬ基地を後に星空に昇って行った。そして上空に美しく輝く翼燈の灯りも鮮かに機は飛行場を一周すると見事な編隊を組んで東の空遠く消えて行った。手に手に泣いて帽子を振りつつ整備員たちはいつまでもその灯りを追って祈るかの如きその姿を崩さなかった」

富永恭次比島方面陸軍航空部隊指揮官の特攻隊員への挨拶
「陛下の忠勇無比なる諸子、神州日本の正義神国日本の正気発して万朶の桜となる。その名も床しき万朶の諸子である。諸子は今将に、陛下のために身命をなげうたんとす、一身は鴻毛よりも軽く敵艦船必殺の使命は富嶽よりも重い。諸子は先般敬愛する上官を失ったが、弛む撓(たゆ)むことなく上官の分まで任務達成に努力されよ。その成功を指揮官は心から祈る」

 朝日新聞は当時の風潮にあわせて、以上のような特攻隊員を神格化する記事を書いて見せた。戦時中の他紙にも同じような記事はあっただろうが、朝日に関していえば現在の護憲・平和路線と比べると、社を挙げて人格を変えたかのような内容にみえる。
 この変わり様に、時代にあわせた『信心』を獲得することで販売部数を確保した、同社の苦心が伺えてならない。戦前は内務省、戦後はGHQという権力からの圧力を受けて屈せざるを得なかった部分もあるのだろう。今でいうならば、圧力を与えられる勢力のひとつが政府自民党なのはほぼ間違いない。しかし、別の勢力(国の内外に関わらず、自民党安倍政権より強い力?)が安倍政権を叩くよう圧力をかけている可能性を考えれば、誰が良いのか悪いのかわからなくなる。

 とすると、自らの判断だけで意見を発しているマスコミがどれだけ存在するかもわからない。
 もし外的圧力がそれほどに厳しいならば、せめて意見性を出すことをやめて事実情報のみを伝えてほしいものだ。世論誘導につながる表現を避ける配慮を持ってほしい。

 朝日新聞は積極的に大学入試問題への紙面提供をおこなっている。言い方は悪くなるが、情報への判断力(メディア・リテラシー)が備わらないうちに朝日に慣れさせてしまえば良いと言うことだろう。
 が、この若者を取り込む策は、10年ぐらい前から効果が薄れてきている。理由はわかりやすい。高校生以下までもがインターネットを利用するようになり、別の情報源を容易に得られるようになったからだ。
  
 彼らによる安倍バッシングを、どこまで信用して良いのだろうか?
 同じ疑問を持つ人々は、私よりも若い層に多い気がしている。

 とはいえ、週刊朝日の記事を肯定する材料も否定する材料も、普通の生活では得られない。

 情報は真実でなくとも、信じられた時点で真実として扱われてしまう。
 それゆえに、朝日に限らず、各勢力は『信心』の確保に急ぐのだ…


 興味深い記事なのでリンク張ります。否定派と肯定派から一つずつ。
 長崎市長射殺事件をどうしても安倍首相と結び付けたいらしい…きち@石根
 やはり! 安倍晋三と長崎事件の接点…反戦な家づくり

 さらに、朝日の報道姿勢に疑問を持つ記事を二つほど(下の記事はちと古いですが)
 なんとしても、テロと言う事にしたい朝日新聞…散歩道
 2006-11-26 朝日新聞の安倍内閣支持率急落報道…Munchener Brucke

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【完成】長崎市長射殺…得をしたのは?

 腹が立つ。
 長崎市民は怒れ。

 いや、日本人全体で怒れ。

 なぜ、大量殺人の被害都市の市長が、
 なぜ、二代に渡って殺されねばならないのか・・・

 公開されている情報だけで、伊藤一長市長の死をプラスととらえられるのは誰かを考えてみた。
 まず、被爆都市の市長という側面から。

 長崎市長の銃撃・死亡、国連事務総長が業績たたえ哀悼の意…読売新聞
 長崎市長射殺「深くお悔やみを」 国連事務総長が声明…朝日新聞
 長崎市長射殺:英国の反核・平和団体関係者「大きな打撃」…毎日新聞
 「強力なパートナー失った」秋葉・広島市長が悼む …読売新聞

 亡き伊藤市長は、もう一つの被爆都市・広島の秋葉市長らとともに強く核廃絶運動に動いていたらしい。社会党出身の秋葉市長以上に、自民系の同氏が目立つ面もあったようだ。
 原爆投下はあの国による紛れもない大量殺人である。たとえあの国が戦時の罪を問われない勝利(連合国=国際連合)側であっても、「非核」「原水爆禁止」を訴えられることは、最大の苦痛であり、苦悩である。

 (以下、19日深夜に携帯で公開指示を送ったところ、弾みで消えてしまったようなので、あらためて書きました。知り合いのニフティ社員をしばいておいて、原因を究明しておけと言っておきました。)


 もうひとつの要素に伊藤前市長と同郷の盟友として、
 衆議院長崎二区選出の久間章生代議士がいる。
 いうまでもなく、現職の防衛大臣だ。

 防衛相、公務キャンセルし長崎入り 伊藤氏の急逝悼む…産経新聞
 時流潮流/自民の参院選候補者選び 伊藤長崎市長軸に本格始動…長崎新聞 06/08/26

 結果として婿殿は勝てなかったが、一長市長の人気はかなりあったようで、確実に勝てる候補としてみられていた。
 で、久間防衛相とあの国(副大統領)の関係を浮き彫りにする記事を。

 U.S. nixes talks with Cheney, Kyuma…The Japan Times(共同通信 07/02/12)
 【主張】チェイニー氏来日 日米豪の戦略的な連携を…産経新聞

 要は、「イラク戦や沖縄基地等の再編に批判的な久間とは会ってやらない」とのこと。
 普通、あの国の正副大統領は内政と外政を分担しており、現在の副大統領は外政担当である。 2月の訪日も安全保障が主題で、自衛隊の幹部とは会ったくせに、その上司である久間防衛相と会わないというのは、筋がずれる。早い話が嫌がられている。彼らが考えている以上の速さで、独自防衛体制を築こうとする態度?が気に食わないのだろうか??

 つまり、伊藤一長前市長は、二重の意味であの国から煙たがられていたともいえる。


 加えて、バージニア工科大学での悲惨な乱射事件の後というのも、あまりにタイミングが良い。
 犯人が韓国人であり、真偽はどうであれ「人種差別」が絡んでいるとみられてしまう状況は、あの国にとっては広まってほしくない情報のはずだ。日本人も韓国人も中国人も同じ黄色人種。温家宝首相が来日した後の日本で、さらにアジア人同士で結束しやすい空気が生まれては困る。

 さらに、拳銃についてこのような情報がある。関連記事を。

  2007/04/21-21:02 所属組幹部も同種拳銃持つ=市長銃撃で使用の38口径-入手経路を捜査・長崎県警…時事通信
 長崎市長銃撃:容疑者の組解散 拳銃は米国製…毎日新聞、なぜか削除のためGoogleのキャッシュ

 あの国製か。
 工作員が拳銃を手土産に、長崎市に恨みを持つ城尾被疑者をけしかけたという勝手な想像も・・・

 いや、こんなにわかりやすく、あの国の仕業と読める情報が公開されるはずはない。10年前なら「あの国製拳銃使用」との情報が隠されて、暴力団員によく流通するロシア製トカレフとか中国製拳銃として伝えられたかもしれない。
 
 もっと深読みすれば、日本国民があの国に対して敵意を持つことを望む勢力・人物の働きかけかもしれない。

 となると、誰だろうか?
 ご想像にお任せします。


 あの国に負けてから62年が経った。

 核廃絶と平和をうたった伊藤前長崎市長の射殺にせよ、
 日米同盟の先行きを案じた?久間防衛相の言動にせよ、
 数々の事実が「もう今まで通りにはいかないよ」と語りかけているように思える。 

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自信を持てない人こそ

 「公共心」の話を前の記事で書いてはみたものの、
 いざ己のこととなると、自信を持てない。
 
 特に公共心を要求される仕事のひとつが公務員。
 思えば地方選挙の真っ最中、候補者たちの心中も実はそうかもしれない。

 それはおいておき、今の私の身分は民間企業の社員である。
 友人の勧めで「会社はこれからどうなるのか(岩井克人)」を読んだ。

 会社とは、株主や投資者などのヒトに所有される『モノ』でもあり、かつ他者と契約したり備品や商品などの資産(=モノ)を所有する『ヒト(法人)』でもあるという。ヒトである会社からみた経営者の位置づけは、単体では意思を持たない仮想の『ヒト(法人)』から、その意思表示や実行を信託された存在であり、絶えず公共性が求められるとのことだ。

 なるほど。
 ふと、ある経営者のことを思い浮かべた。

 某上場企業で現会長の彼は、社長任期5年のうちに自社株価を15分の1に下げたという、バブル崩壊とか外的要因を差し引いても弁護のしようがないぐらい評価の低い経営者だ。
 まず管理部門にも数値目標を強いるなど、無理な成果主義人事制度を推し進めて大いに生産性を下げた(脚の引っ張り合いやゴマすりの横行は当然、百人単位で従業員を自殺においこんだ。)。さらには3ヶ月の間に3回も決算予測を下方修正し、多くの金融・証券関係者の信用を失って株価下落に拍車をかけている。その責任を問うた経済誌・東洋経済に対して、『業績が悪いのは従業員が働かないからだ。』との回答を寄せるなど、人格面でも疑問符がつけられた。
 ※あくまで、同氏の名誉のため氏名は伏せ続けます。

 前の記事ではないが、彼が織田信長の部下であれば、すでにこの世にはいないだろう。
 だが、その彼も彼なりの「公共心」を発揮して行動をとったのかもしれず、もしそうなら、これほど『公共心』がはかない存在だと表している事実はない。

 つまり「公共心」はあくまで個々の主観に委ねられるものであって、それぞれの人の「公共心」が一致することはまずないというのが顕著な事実だ。(ただし、宗教など行動規範を徹底して制約する力が働いている集団については、限りなく一致に近づくケースがある。イスラム教やキリスト教の一部、日本国内でも一部の進行宗教団体などその例は少なくはない)

 とすると、何のために選挙をするのだろうか。
 
 『できる限り自分に近い形の「公共心」をもつ人物を選ぶため』
 というのが、私の出したひとつの答えだ。

 …この答えにも確たる自信を持てない。


 …いや、自信を持てなくてもいいのではないか。

 先ほどの現会長・元社長の話にもどすと、彼は自分なりの「公共心」に自信を持ちすぎたがゆえに暴走したのだろう。従業員をこきおろす「経営放棄」ともとれる言動の根源は、自信の過剰防衛かも知れない。(気の弱さの裏返しか?)

 仮に「公共心」に自信を持てない(持ちすぎない)人であれば、周囲の話を聞き絶えず自分の考えを修正し、時流を良くみてうまく判断をあわせてゆくはずだ。
 『君子、豹変する』という中国のことわざがある。本来は、豹の皮の模様がはっきりとしているように、優れた人物(君子)は、過ちをすぐにあらためて善行に移ることができるという意味だ。

 中学時代に『近藤君は信念がない』と担任教師に言われたが、今となっては褒め言葉のように聞こえてしまう。

 さすがに、これは勝手か。

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 地方選挙も後半戦に入った。
 初陣に出る友人がまたいるのだが、子持ちでの挑戦は始めてである。彼がひとつ年上であるとはいえ、自分もそんな歳になったのかと思うばかりだ。

 彼は足立区議会議員に立候補している。
 友人の紹介として、今は更新が止まっているHPのリンクを貼るのはありだろう。
 http://www.ogura-shuhei.com/

 小椋(おぐら)修平。
 自信を持ちすぎない、まず周囲の話を聞く謙虚な青年である。


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