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果たして俺も天才か?(ケンドーコバヤシを語る)

 職場の後輩が面白いというので、漫才師・品川庄司の品川祐が書くブログをのぞいてみた。

 …面白い。
 中でも、この記事にはいろいろ考えさせられた。

 天才ケンドーコバヤシ

 しゃべらなくても、人を笑わせられる鬼才・ケンドーコバヤシは、努力をする前から既に芸人であり、達人なのだ。すでにテレビで見たネタを、うめだ花月で生で見たことがあったが、それでも面白い。人格すべてを芸にしている。いや、勝手にそうなっているというのか。

 品川は、この「天才」をうらやみ、素直に尊敬している。
 売れているトークのチェックを欠かさず、芸人・芸能人と人脈を作りネタを掘り出し、雑学知識の摂取と筋トレも続ける。両親が有名美容家である彼は貧困とは程遠い世界で育ったはずだが、それでもこのハングリー精神の高さがあるというのは、甚だ脱帽である。

 では俺はどうなんだろうか。
 「天才」を素直に尊敬してしまうのは同じだ。
 だが、そこまで努力はしない。

 あ・・・うらやましがらないから、努力しないのか。

 前にも書いたが、某人材系有名企業に勤める友人が「働く理由」として教えてくれたのが、
 「憧れ」である。

 食うためとか、いい女(男)が欲しいとか、生理的な欲求をかなえる側面を一切省いた時に残る、「働く理由」を総称すれば、確かにこの一言につきる。

 つまり、今の俺には「憧れ」が足りない気がする。

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 実の所、「憧れ」は何かの目標を上回る、いや追いつくことで達成感を覚えた時点で消滅する。
永続的なものではないから、常に何かを上位に持ち続けないと「憧れ」はモチベーションの源泉として使えない。

 一方、ケンドーコバヤシなどの天才は、既に憧れた人間にとっての上位者である。もし彼がさらに別の上位者を目標にしていれば「憧れ」といえるが、彼の途方もない独自性をみる限り、そのような気配がしない。
 
 そこで、彼の発言を思い出した。テレビ東京が吉本興業と製作した正月特番でのことだ。HDDレコーダーで録っておいてあり、たまに観ているから良く憶えている。
 いす取りゲームで負けた人物が座れた人物を指名して、そのイスに張ってあるお題目(大喜利とか物真似とか)で勝負をして、笑いをとれた方が着席権を得て残る。そうしているうちに最後まで勝ち残った人間を優勝とする「イス-1グランプリ」なる企画で、この時は計11名の芸人が参加した。

 対戦2回目あたりで審査員の今田耕治が、ケンドーコバヤシがお笑いとは思えない血相をしているのを見つけて、司会の千原ジュニアにインタビューさせた。

 対してケンコバは、
 『みなさんがね、おそらくこの元旦というのは一年の計を立てる日やと思うんですけど、僕に関しては去年の後半からこの日・このコーナーに向けて仕上げて来てます。』

 と、得意のプロレスラー調(今田いわく「修斗風」)で語る。
 ネタを出す前から、すでに面白い。当然今田や東野は大爆笑だ。


 対して千原ジュニアは、まだ続くケンコバの修斗プレイに、
 『これは新しい風俗を見つけた時の顔ですよ』とコメントする。
 この表現はジュニアの天才性をもうかがわせる(笑)

 んで、この「~仕上げて来ている」というのはネタだけではないようだ。
 ケンコバ流というものを見せようとする、義務感?というのか、そういう匂いまでただよってくる。

 完遂する義務感…うむ。
 憧れではなく、これは「誇り」やな。

 ゲームが始まった後のケンコバは、イス取りに負けることがなかった。このため、対戦相手からの指名を待つ立場が続いたが、一向にお声がかからない。
 恐れをなしたほかの吉本芸人が避けたのか、決勝戦まで残す演出だったのか・・・

 M-1覇者のチュートリアル・徳井義実などは奪取、防衛、奪取と3回の対戦を制した後、4回目の対戦で敗れた。徳井に挑戦して勝ったのは庄司智春。そう、彼の相方である品川祐も出ていたが、かなり早い段階で敗退している。
 気がつけば、前々年のR-1ぐらんぷり覇者・博多華丸とここまで一切勝負がなかったケンコバの2人が残っていた。
 
 2人になってイスが一つになっても、一応音楽が流れる。
 音楽が止まると、ケンコバは座ろうとせず華丸に席を譲った。これは指名される側の立場=後攻を譲ったことにもなる。

 結果は、博多華丸の優勝だった。
 お題は「家族をテーマとしたトーク」で、気がついたら須藤元気の真似をするようになった母の話をしたケンコバに対して、「おい、このパンツゴムがゆるんどると」と言いながら、母のシャツを何度も穿こうとしていた華丸父の話が、2対1で上回った。

 決定の瞬間、ケンコバは燃え尽きたように倒れこみ、あの力石徹のように動かなくなった。
 これがまた面白い。
 敗れても、しっかり自らの空気で場を支配したケンコバは、まさに天才である。


 「憧れ」が足りない人でもモチベーションを保っているケースはたくさんある。
 そのひとつが「誇り」であるとすれば、それは自信に裏打ちされることが必須だ。早い話が天才肌に多いパターンで、失敗した時に自分を責める心象が良くみられれれば明らかに「誇り」型といってよい。

 これって、まさに俺のことではないか。
 態度の源泉は、ただの自惚れかもしれない。
 いや、それとも天才なんだろうか。
 わからん。

 少なくとも、ケンドーコバヤシは、己の天才がわかっていないと思う。
 天才は他人からしかわからない。


 

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喫煙室とか飲み会とか、社内交流の価値が下がっていくこの頃

 私の勤め先では、いや他でもそうだろうが、喫煙ルームでタバコをくゆらせながら話した内容が、結構な情報源になったりする。喫煙は精神安定剤の役割(ただし、ニコチン依存者のみだが)があり、緊張がほぐれた時に、さまざまな自分を取り巻く状況をぼやいたりするのだろう。
 あと、いわゆるノミニケーションの場がこれに続く情報源だろう。

 と、そのような話を、取引先の部長としていた。
 今年の新人社員を連れて見学に行っていたときのことである。
 
 二つのテーブルには灰皿が3つ。取引先の部長が「みなさんは吸いませんか?」と私と新人社員4名が面するテーブルに置こうとしたが、この5人がいずれも吸わない。結局、その部長と、私の上司と先輩、間もなく着席した取引先役員の、私より年上の4名が喫煙者という構図になった。

 「彼らが、中堅になる頃には、喫煙室の重要性も薄れるんじゃあないでしょうか」
 と、俺は反駁した。

 「でも、そのうち、我々同士で愚痴を言い合って飲みに行くことは、十分ありますよねえ」
 確かに、部長の言うとおりではある。

 やがて取引先役員が、『すぐに100%は目指さずに、失敗しても気にするな』といい話をしてくれて、その後にストレス解消としての、オンオフ切り替えとしての「社内ノミニケーション」の重要性を説いた。

 また、俺は反駁する。 
 「社内だけではなく、外での飲みもすっきりとしたオフになるよ。」

 「まあ、近ちゃんはここで逃げをうったけどさ・・」
 と、結局は役員に話の流れを戻された。

 だが、社内交流に注力し過ぎる危うさをみてきた俺としては、どうも納得がいかない。

 新人の時点で、26人の同期を見渡して関西出身男は自分一人(というか九州や四国もいなかった。関西女子は3年以内に辞めた。)、さらに配属先部署が別の建物で2年目には部署ごと出向させられた(1年後に復帰)。
 ただでさえアウェイなのに、悪条件が重なる。
 それで、学生時代からの縁を元に社外の人脈構築に活路を求めた結果、気がつくと月に10回あった飲み会・イベントのうち、10回ともが社外という状況になっていた。そうなったころには、社内の人間とわざわざ飲むつもりもなく、堂々と孤立?もできる自分が完成していた。(苦笑)

 本社建物に来たのは本部をまたいで転属した4年目で、新人配属時の本部に戻った7年目の頭にはすでに別の人脈構図が完成していた。5~6人のグループがそれぞれあって、グループをまたいだ退社後の交流は滅多にない。どこの組織でもある風景だと思う。

 その頃には、また色々なグループが出来ていた。

 某課長を筆頭とした「ナントカ組」
 当時5~6年目の女性を中心とした「女性だけの会」

 などなど。そういえば、新人時(=この時期より6年前)にも似たようなグループがあったと思う。だがそれぞれが気がつけば消滅していて、体力の余った連中で別のものが再構成されていた。共通して参加している人物はいない。

 さらに3年経ってみると、「ナントカ組」筆頭の課長も、「女性だけの会」筆頭の彼女もすでに退職している。もちろんグループも完全に分解しており、今の主力は3年経った新人(つまり4年目)あたりに移っているようだ。
 
 ふと思うと、そうやって、社内でも頑張って交流してうまくやろうと無理?する人ほど早く辞めていくのかもしれない。若くして昇進した「ナントカ組」の某課長も、子ども達との時間などがうまく作れないなどの理由で、管理職としてではない転職先を選んだそうだ。

 課長から「近藤君も、ナントカ組に入りたいんでしょ」
 と、暗に勧められた?のを、笑って断ったの思い出す。

 社内づきあいが、長続きしない時代がやってきたのだろうか。
 そういえば、テレビの製作会社を辞めた女性も、
 「前の職場の縁なんて、3、4ヶ月ぐらいでなくなるよ」とか、言ってたな…

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 社内で仲良しグループができることは、従来型(というより昭和後半に限って?)の日本企業では奨励されたことだ。企業への忠誠心と協調性が全面に問われ、チームワークによる高品質な商品の製造や、暗黙知による連携プレーで各種サービスの向上に努めてきた時代がある。その成果でわが世代の少年期(1980年代)は豊かな生活だった。
 だが今となっては、中低級製品であれば中国内陸部でも製造拠点を置ける。サービス業だと、コンビにチェーンや外食産業などのように徹底したマニュアル化によって、一定期間の教育を施したアルバイトにでも一般的な接客業務を任せられるようになった。さらに、IT産業の台頭によって新しい業務ルーチンに切り替えるサイクルが、昭和いや平成初期?にくらべてはるかに縮まっており、長年培ってきた暗黙知の継承や連係プレーの価値は日増しに下がっている。

 既存の手法なら新人や新参で十分。(マニュアル化)
 高度な手法は、職人化された技術屋か、クリエイティブ職の世界が担当。
 職人化には時間がかかるが、クリエイティブなら若手の一発でOK。

 先ほどの新人の一人の話によると、別のシステム部署で受けた説明では、5~10年目の中堅社員では仕様がわからず、新システムパッケージの教育を受けた1~2年目にしかわからない社内システムが存在するという。 
 これはシステム開発情報だからいたし方のない話だが、純粋に利用者として流行の情報ツールへの対応が遅れているとしたらどうなるだろう。たとえば、30歳前後の社員のほとんどが、ブログやSNS の利用経験がなかったとする。それら情報ツールの活用はさらに遅れるわけで、その会社にとってかなりの利益逸失になるはずだ。

 新しい技術や手法は、積み上げた習慣や知識を無効にする。
 その回数が多ければ多いほど、組織内特性の積み上げによるメリットは薄れる。
 かといって、新技術や手法を知らねば、競争力が下がる。

 中堅社員に限らず多くの従業員が少しでも社外に人脈を持っていれば、世間の流行りなどはたやすく取り入れられるはずで、自分の仕事にも徐々に生かせる。ところが、仲良しグループでも労組でも、その社内にのみ従業員人脈の多くを頼っている組織ほど、新しい情報は入りづらい。
 様々な業界の方々のお話を聞いていると、建設とか医療関係とか、どうしても一件のプロジェクトに長い時間がとられたり土日勤務を強いられる業界に、その辺のご苦労が多いのではないかと思う。あと、マスコミ・芸能がそうかもしれない。

 社内交流がそもそもない人、つまり自営業者のほうが、手広く情報を集めやすい環境といえる。所属している組織の特性で情報が遮断されることがなく、かつ自分で判断をしなければいけない立場にある以上、内容の咀嚼もうまくいくのだろう。父がそういう人だった(注・今も健在である)。

 というわけで、この記事の参考にしたブログを紹介しておく。
 筆者は自営業者らしい。なるほど。

参考:株式日記と経済展望 6/3版)

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