【解説】頑張りや努力だけを賞賛するのはもうやめてくれ。
えらい数のアクセスがあった。
SNS経由もあるから、知人友人のものが多い。
でも、寂しいことに、誰も書き込まない(苦笑)
私の文章が拙いからだろうし、これこそ「仕方がない」。
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元々は、
「頑張れ」「頑張れ」と追い詰められた友人達を思って書いた。
徹夜3連続、月200時間残業は当たり前で、うつ病に追い込まれた友人。
別の友人などは、家庭事情など他の要因もあっただろうが、
ついに自殺までしている。重ねて冥福を祈る。
#彼の場合は兄弟が家庭仕事ともにうまくいっていたため、余計に辛かったのかもしれない。むろん、この兄弟に一切罪はないのだが。
よく考えて、動かずに待っている状態の時を
『お前は何もしない』と頭ごなしに叱咤する上司がいたり、
ひどい時は、働いている時をまともに見たこともないくせに、
頑張りが足らんと決め付けていたり。
私のように、ある程度雑音を無視できる人ならいい。
が、単純ガンバリズムの馬鹿どもが、
本当にしっかりやっている人の心身を朽ちさせる話は、
そこら中に転がっている。
わが社でも、一日のうちほとんど連絡をとれない先輩がいて、(営業部門や出張の多い業務ではない)それが、部門内の賞ではあるが表彰の対象となったと聞き、「またか」との思いになった。
労組の要職という立場を生かして、うまく部長以上の各位にアピールしたのだろうが・・・
単純ガンバリズムでは
「頑張っているフリ」を見抜けないことがある。
形だけの成果主義、腐った成果主義。
数字と断片的な印象だけで評価する目標管理制度など、要らん。
だったら、徹底して年功序列にしてしまえ・・・
だから、『単純な努力賞賛』を否定する表題にした。
日々の私は、地道な努力を評価する傾向がある。
自分自身も地味な待機系の仕事についているせいもあって、将来のリスクを考えて慎重に準備をする人なんかを賞賛したくなる。
そう、私が非難しているのは、方向性の違うままにモーレツに働いている人までもを、「頑張ってるね」と単純に褒めてしまう発想だ。
もちろん、上司役員も完璧ではないのだから、毎度責めていてはやってられないだろう。
というわけで、もっと怖いのは、破壊を招く要因となる「努力」を無防備に賞賛することだ。
(会社だと・・・)
生産ラインが確保できてないのに過剰受注。
部下の体力をかえりみない長時間会議の開催
逆に、上司の負担を考えない責任の押し付け
労働時間をさらに奪う、社内調査の乱発(SOX法の悪影響?)
(国家レベルだと・・・)
対象住民の猛反発を受ける、無益な領土の拡張
人口増や経済成長・そして環境保全に見合わない開発政策
いずれも、リスクを覚悟して努力しているのなら良いが、どこまで腹を括ってやっているのだろうか。
アピール下手で営業活動嫌いの私が、うらやましさ含みで批判している面を割り引いても、過剰な拡大努力が、逆にそれぞれの団体を縮小に追い込んでいる例は少なくない。
重ねていうと、とりあえずやってみようという腹があれば良い。
意味・目的なく、腹も括れていないままの拡張努力は賞賛どころか、ただちに止めるべきだ。
国家レベルの話になると、
それで、どれだけの人が死んだことか。
まったく・・・ホンマに。
書いてて実感のない自分が、恐ろしゅうなってくる。
ただ、
努力そのものを認めるという態度はあったほうがよい。
「空回り」だったとしても労をとったことには変わらないから。
『労をねぎらう』との言葉があるぐらいだし。
(ねぎらうを漢字変換すると「労う」になる。)
間違っても、野放しに褒めないことが肝心である。
残念な姿の先輩をみて、いかに甘い上司とつきあっていたかを想像してしまう。
そう思うと、自分の上司先輩は良かったという所か。
私自身の勤務態度は別として・・・(苦笑)
手っ取り早くいえば、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
って意味だ。
始めからそういえばよかった。。
とりあえず、社会のバランスを考慮して
反カンバリズムを押し通している次第だ。
もっとも、カンバリズムが少数派になったら、
反ガンバリズムをやめるやろうけど(爆)
あ、
もう、少数派になってるんかな?
もちろん私も『努力』するが、
良いガンバリズムが押し通る世の中になって欲しい。
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