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「戦争を知らない」という努力と責任について

 この春に死んだ祖母が、こんなことを言っていた。

 「あの子は『戦争を知らない子どもたち~』やから。」

 息子(私の母の弟)に対する評価で、しっかり節回しまでつけていた。
 
 叔父は「団塊世代」の典型的なキャラクターの持ち主である。
 金にうるさく闘争的で、個人責任が嫌いで上位者に弱い。
 おまけに、常に動いていないと気が済まない。
 
 全ての団塊世代の方々がそうではないのだが、悪いほうのイメージに一致してしまっている。
 身内の恥をさらすようで心苦しいが、今回のテーマには必要なので、ここは省けない。


 花火大会の場所取りをしつつ、友人と話し合っていたことを思い出した。

 「経済拡大しようと思うたら破壊がどうしても必要になって、その典型が戦争や。もう戦争せんとこうというのが世間の流れになってるのに、それに合わせられんのが『団塊世代』の人々に多いんやろうな。」

 「もちろん、好きで彼らがそうなったのではなく歴史の被害者なのはわかってるんやけど、(今の時代に)邪魔なもんは邪魔なんやからどいて(=去って)もらうしかないんや」

 友人は、私と同じく「どうしても団塊世代と働きたくない人」の一人である。
 私は続けて補足した。

 「欲の方向性を変えんとあかんのに、相変わらず横へ拡大しようという欲を持って離せないのが団塊世代なんやろうなあ・・・一人一人が縦に深い、たとえばそれぞれの趣味とか地域とかに対する欲をもてば、衝突自体が減るはずやのにねえ。」

 競争への意欲、拡張しようという欲。
 横に拡大、すなわち他人の勢力を横取りして自分の腹を肥やそうとすれば、持分を取られそうになった他者は当然反発してくる。やがて、それは争いとなり、その極例は命の取り合いを含む戦争にまで繋がる。

 さっと、説明したこの原理を、よく飲み込めない人が多いのが団塊世代ではないだろうか。


 団塊世代の先輩方は、子の世代に当たる我々と同じく「戦争を知らない」だけでなく、おそらく我々よりもさらに戦争が嫌いで怖いはずだ。
 にもかかわらず、競争意欲が旺盛で衝突原因を生じやすいという矛盾を抱えているのは、やはり歴史の被害者だからだろう。日本のほぼ誰もが知っていることだが、団塊世代とは、長い戦争に敗れた直後に生まれた宿命を背負っている。

 わが国は多くの尊い命を奪い奪われ、62年前に最後の敗戦を迎えた。
 いまさら言うまでもないが、戦後の日本は外交軍事といった国際紛争の解決能力を全て勝利国のアメリカに預け、自らは経済拡大を一心に目指す道をとった。
 
 まず、戦争の傷跡を回復しなければならない。
 その頃に生まれた子どもたちは、イビツな条件下で少年時代を送らされた。

  1. 教育環境の不足と、同世代の出生数急増に伴う、同世代間競争の過熱
  2. 54人クラスが学年に10個という小学校が普通にあったらしい。
  3. 両親が必死に働かざるを得なかったため、家庭内教育が放置される傾向に
  4. 個人主義重視の時代ではなく、なんとか属し得る集団を見つけては群れる傾向が生まれたのだろう。
  5. 命のやり取りをする国同士の争い=戦争があるということを教えてもらえなかった。
  6. 代わりに平和教育だけが行われた。両方とも必要なんだけども・・・
  7. 3.にも関わらず軍隊式管理教育が残り、上位下達の精神が吹き込まれた。
  8. 1940年の国家総動員体制が、戦後復興にも生かされた結果?

 で、「戦争を知らない子どもたち」が年寄りを迎えるとどうなるか。

 繰り返すが、
 競争相手を攻撃して弱らせたり他者の取り分を横取りしようとすれば、普通なら反撃がかえってくる。

 が、戦争を知らせない教育を受けてしまった結果、「どうせ命までは取られまい」の安心感が下手に行き届いている。やりすぎると自分に返ってくる「因果応報」の発想なんて、しっかり考えられる機会などなかった。
(あ、だから、学生運動がより激しかったのか・・・) 

 さらに、1970年ごろまではまだ高度経済成長が続いていたため、まさに戦後のイビツな環境で育ってきた青年たちが歓迎された。
 声が大きくて、目下と競争相手に対して手段を選ばない人間で、かつ上位者に従順であれば、そのまま出世できた。

 しかも、たいした個人実績がない場合でも出世できた。
 それぞれの勤め先というより日本経済全体の拡大(ただし1990年代まで)のおかげであり、戦争の被害を知っている彼らの先輩たち(1940年ごろ生まれ以前の)の苦労のたまものである。

 戦争がない時代の競争社会が生み出した「特殊な社会習慣」とでも言おうか。

 彼らは、これらの成り行きを自らの成功体験として記憶してしまった。
 もちろん、自身の工夫や努力の結果なら、私を含む若僧も参考にさせていただきたい。実際、お世話になった大先輩も多いので、死んでも大口は叩けない。

 が、残念ながら、時代の要請でできあがった「特殊な社会習慣」自体を、自分の成功体験として手放せない方々は少なくない。

 結果、その成功体験を下の世代に押し付ける。
 慣れ親しんだ軍隊式の「上位下達」を通用させれば、わかってくれて当然と思っているのが残念なところだ。「今の時代は違いますよ」と部下に言われても、無視したりはねつける確率は他の世代より多いのではないだろうか。私もそういう経験が少なくない。


 わが社のある役員に、「あの拝金主義が」「もっと請求額を叩いてやれ」と平気で協力会社(しかも出資先)をなじり、「こんなことも出来ないのか、バカが」と管理職クラスを平気で怒鳴る方がいる。
 「人は数分話せばわかる」とおっしゃったが、貴方のことも数分で分かったような気がする。

 そう言って、一度も事情を聞こうとしていない貴方は、
 まさにここまで書いてきた特徴に全て一致するではないか・・・


 戦争や紛争の可能性を考えられる人なら、上述の役員のように単純な態度をとらないだろう。
 "I win, You lose."の発想は、まさに反発と衝突のタネである。

 つまり、戦争を知らない責任を満たすには、「自集団を狙う外敵と内部の不満」に対する認識とその準備を常に怠らないことも必要であって、穏便や平和を願う(ひどい場合は「ただ信じる」)だけではない。

 利害や文化が一致しないのなら、まず交渉に努めて衝突や紛争の元を断つ。
 それでも、拡大欲や生存権の確保に狂った連中が攻めて来ることはあるだろうから、「もし攻めてきてもエライ目に会いますよ」という抵抗力の顕示が必要な場合もある。会社で言えば、顧問弁護士とか法務部とか総務部の向こうがそうであり、国家単位では軍隊、日本なら自衛隊がその抵抗力にあたる。

 危機管理である。
 自ら仕掛ける戦争を知らなくても、仕掛けられる可能性は常に残っているのだから。

 そういえば、
 祖母が臨終した時の叔父は、一貫してあたふたしていた。
 「訴訟するぞ」と担当医を怒鳴りつけ、葬儀のときは「(ケチって)儲ける気か」と要求が厳しい親族の批判を浴びまくっていた。挙句の果てに会場間の誘導まで失敗して、私自身がピストン輸送を務めることもあった。
 さすがに落ち込んだ叔父に、「失敗するぐらいが普通やで」と声をかけたのが記憶に新しい。
 
 
 …やはり、「命を奪われる・奪う恐怖」から完全隔離された世代に、腹をくくれというのは酷だろうか。。
 「戦争を知らされず」に競争させられた世代が、危機管理を不得意とするのは当然であり、彼らのせいであるとはいえない。

 もし外敵の侵入(敵対的買収とか色々)によって、先輩方が苦労された蓄積が崩れるのは口惜しい限りだ。
 せめて、衝突や紛争の未然防止と危機管理だけでも若い連中に任せて欲しい。若造の私にでも、そんな時代にお生まれであっては苦しかっただろうと想像できるから。


 自分が生まれる月日は選べない。
 たまたまイビツな時代に生まれはっただけや。

 彼らは悪うない。
 悪いのは時代背景や。
 ある意味、そのさらに上の世代や。


 勝手な解釈のうえ拙筆で恐縮だが、もしお読みいただいた先輩方がなにかお気づきいただければ幸いだ。
 あわせて、お知恵やご経験の産物を我々にご教授いただければ、感謝この上ない。

 といっても、もうすぐご定年か・・・

 こういう悩みをしなくて済む、最近の新入社員がうらやましい。
 いやホンマに。

・・・

 やはり、戦争はしないほうがいい。

 終わった後も不幸が起きる。
 肉体的精神的社会的…どんどんツケが残ってしまう。
 負けた側にも勝った側にも。

 やむを得ず戦争をしたとしても、うまく止める賢さが必要だ。66年前に始まった戦争だって、オランダ領インドやシンガポールを落とした時点で、さっさと講和に持ち込んでいればわからなかった。

 少なくとも、二発の原爆は落とされていないはずだ。
 多くの尊い命が奪われず(を奪わず)に済んだはずだ。


追伸:
 団塊ではなく、個人代表責任の塊である役職といえば「知事」。
 今年に入って18都府県で実施された知事選挙では、団塊世代の当選者がいない。(1947年度生まれ~1949年度生まれ)
 全ての知事に広げてみても、47名中 5名にとどまる。(福島、埼玉、岐阜、広島、鹿児島)
 58歳から60歳で適齢期、かつ世代の人数も多い(合計800万人)はずだが、どうも少ない。
(知事になれる30歳以上に占めるシェアで行けば、2

 一方、1945年度生まれだけで 7名もいる。(茨城、群馬、富山、石川、兵庫、島根、岡山)
 やはり、団塊世代が知事のような責任職には向いていないことの証左だろうか。

 参考:全国知事会・知事ファイル

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