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女性から恐喝?

 10日ほど前、ある首都圏の駅前で怖い目にあった。


 『私のことブスって言ったでしょう!!』


 ええーっ? 
 えっ、えっ、ええーっ!!


 立ち止まって地図を見ていると、突然言いがかりをつけられた。

 向って左にいた彼女は、…確かにマスコミで出てくるタレントや女優の風貌からは遠い。
 身長はモー娘。並。

 というか、この瞬間が初対面だ。
 
 無実ではあるが、慰謝料などの恐喝に繋がる恐れを考慮して、
 ミラノで麻薬の売人を追い払った経験を思い出し、
 当初から、丁寧言葉ながら強い口調でやり返す。

 すると女は急に逃げ出したので、

 「そういう態度がブスって言われるんだよ、○○!○○!」
 と、俺は大人気なく追い言葉をかけた。
 (我ながら、ここは子どもじみている)

 #○○は関西人がたわいもない口喧嘩に使う言葉だが、関東人には怖がられるような表現である。ご想像に任せる。

 しばらくすると戻ってきたので、
 (この時、俺は潜在的に一種の興味が沸いていたのだろう)

 「警察行きましょうか?」と呼びかける。

 『ワタシ何にもしてないからいいよ。でもアンタ○○っていったでしょ』
 「その点は詫びましょう。」

 とやり取り手居るうちに、取調べを受けること自体が不利になるかもしれない。と思い直した。(警視庁は女の肩をもつ可能性が) 

 「・・・でも、お互いにプラスになりませんな、行くのはやめましょう」

 それきり、女もその場を去っていった。

 念のため電車での移動は避け、虚をついて1駅分を徒歩で通した。午後6時を30分は過ぎて暗くなっていたから、外を歩いていればついてくることはないだろうと・・・


ーそれは、女がお前に気があったからやないか?

 話を聞いたヤーニン君は、またもや逆説的な分析をした。

 だが、それは一理あって、
 彼女が逃げ出した時の「やーだよ」が、とても嬉しそうな口調だったからだ。
 そして、「警察いきましょうか」の時も。

 なるほど、そうまでして声をかけるきっかけが欲しい人はいるのかと・・・

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 中学時代に遡るが、俺に常にちょっかいをかける嫌がらせをするヤツがいた。

 当初は仲が良かったのだが、次第に怪訝な態度をとるようになり、たとえば合計3人以上で行動している時は、俺だけが一人になるように仕組んだりとか、いろいろな仕掛けをするようになる。

 あんまりにもうっとうしくなってきたので、体育の時間に男子同士のサッカーをしている時に、シュートが決まった直後のゴールポストの前でヤツを思いっきり殴ってやった。
 俺はコイツが気に入らないと、衆目に晒したのである。

 授業が終わった後、ヤツは泣き声で・・・
 「(サッカーをみていた)大勢の女子の前で恥かかせよって・・・」

 ヤツの抵抗はしつこく続いた。殴ってくるようなことはなかったが、軽くしばく・蹴るなどが、3階の教室に上がるまで続いた。面倒くさい俺は無抵抗だった。

 その後何ごともないように思っていたら、ついに我が家まで付きまとわれる日が来た。
  
 殴っても仕方がないヤツはそれ以上の方法が必要かと、
 中学生で知恵もない俺は、台所から包丁を出してきた。

  俺「帰れ、ボケ」
  ヤツ「俺、○○ちゃんが好きやから、あないなことしたんや・・・」

 やっと、詫びが入った。

 つうか、これが人間の真理?ではないのか?
 認知欲が、好意を得たい気持ちを上回るケースは少なくない。

(最近職場を辞めたある先輩にも同様の傾向があったが、筆舌につくす事例なので、ブログではとりあげないことにする。)

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 気に入った人、あるいは認めてほしい人がいれば、人は何をするか。

  1. まず、その人のためになることをしようとする。

  2. 1.で思った反応が得られなかったら、それ以上のことをする。

  3. 2.でも無理なら、とにかく注目をあびる行動をとる。攻撃する(逆恨み)

 自称「ブスと言われる女」は、いきなり3.から入ってきたのである。
 1.や2.はあくまで既に人間関係がある状態でできる行動であって、なにもなければ3.から始めるよりない。男性であれば、世間一般のナンパとか、スポーツでかっこええ所をみせようとしたり、笑いをとろうとするのもすべて3.の範囲に入る。 
 
 だが、女性にとっての3.はどういう行動があるのだろうか?
 特に「美人」とされる女性ほど、認知要求行動は弱いように思う。
 
 俺の主観でしかないが、「美人」にみえる女性ほど結婚が遅かったり、カレシが居なかったりするケースが目立つのは気のせいだろうか。

 駅前の彼女の真意が、「セクハラ恐喝」か「知り合うきっかけ」だったのかは良くわからないが、
 
 なにはともあれ、いい経験をした。


 「セクハラ脅し」と言う用語もあるらしい・・・

 クラスで、「セクハラを理由にしたいじめ」が流行しているそうです。

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ゆずの故郷にて-横浜市岡村

 横浜という地域は懐が深い。
 大の幼馴染も、もっとも嫌な先輩(すでに退職)も、みな横浜市民である。

 友人と「ゆず」の話になった。
 そういえば、彼ら2人も横浜市磯子区は岡村の出身という。
 前の日曜日はヒマだったので、ぶらぶら歩いてきた。


 上大岡で京急の快速特急を降りて、北東方向にアップダウンを繰り返しながら歩いていった。

 …ちなみに京急のテーマソング「赤い電車」は地元の「ゆず」ではなく、私と同郷・同窓の「くるり」が歌っている。岸田繁がバリバリの鉄ちゃんだからだろうか?
 
 アップダウンがあるとはいえ、見渡す限りの住宅地だ。
 すると途中バッタがいたり、峠の頂点で猫が寝転んでいたりとか、結構別の動物が元気にしている。

 その丘と丘の間にある谷沿いの道をバスが行きかい、上大岡か磯子の駅とのアクセスを保っており、合計すると一時間に10本近くあるから、人口密度の高さもよくわかる。中田横浜市長の市バス合理化策でも削られなかった路線が何本も走っていた。

 ようやく「岡村」に入ると、ゆず○○といった看板が目に付く。ついでにフィットネスクラブもやっているらしく、ゆずの曲調だとかなり激しい運動になるのではないかと勝手に想像した。ゆず'sブーとキャンプで売り出したらええのに。
 個人事業所のようだから近づいて表札を拝見すると、北川でも岩沢でもなかった。親戚でもないかぎり十中八九は便乗商法であろうと察しがつく。許可をとったのかどうかは知らないが、2人は偉大である。


 なにが、左から右へ過ぎてゆく。

 チャラチャッチャッチャラッチャ~♪

 違う。逆や!
 うわ、なんや!

 「夏色」の歌詞とは違い、ブレーキをかけているか疑わしい早さで、若者が自転車で坂を下って来たのだった。

 『ちょっとは美化してるんやなあ』と、なぜか共感を覚えた。
 まあ、北川・岩沢の当人はちゃんとブレーキをかけていたかもしれないが。

 バス道に戻ってしばらくすると、ロンドンの二階建てバス?と思わしき物体が目に付いた。なかはようわからん荷物でいっぱいになっており、すでに使用されていないのはすぐにわかる。

 岡村の住民はバス好きである。間違いない。…たぶん。


 さらに歩く。


 飛騨あたりの山奥と勘違いしそうな、山をかわす急カーブを過ぎればもう登りはない。…と思っていると、赤くチカチカしたものが見えてきた。

 警察だ。市バスも一台止まっている。

 『何で、ここで止まれないんかねぇ』
 と、警官がバスの運転手を説教している。

 カーブが終わった所のバス停直前で接触事故を起こしたらしい。そのせいで、カーブ内側の1車線が対面通行となり、何台かのバスも通り過ぎていった。

 また、珍しいものをみてしまった。

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 2人の母校?と思われる中学校を後に、バスに乗ることにした。
 が、すぐに来た市バスは「滝頭」行きで、磯子駅に行くかどうかわからない。

 『これって、磯子の駅に行くんですか』

 『(手前の)滝頭止まりですよ… 


  …あ、やっぱ、乗って行ってください。』

 『え?いいんですか?』
 『後ろで接触事故があって、そのバスが磯子駅行きなんですよ。』
 『確かに見ましたねえ。』
 『事故なんだから仕方がありません。滝頭まで行けば、磯子行きの本数も増えますから。』

 運転手のご好意(緊急判断)で、二つ先の滝頭まで無償乗車。

 『あの左手先にみえるのが磯子駅行きのバス停です。』
 と説明を受けると、バスは右折して車庫である「滝頭バス停」へ。

 礼を言って降りると市電の保存館があるようで、もともと横浜市電の車庫であったらしい。
 が、ちょうど午後5時で保存館は閉まったところだった。

 運転手の好意を無にする気はないから、磯子駅まではバスに乗ろうと堀割川沿いにあるバス停まで歩く。


 え?

 京急バスが1時間6本に対して、
 
 市バスはせいぜい3本。

 ここで京急バスに乗ってしまっては、なんか申し訳ない。

 先ほどの市バス運転手にすれば、商売敵に塩をおくる可能性もあったわけだが、そこは公務員。市民の(俺は横浜市民ではないが)利便を優先した判断ができたのだろう。

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 幸い、次に来た磯子駅行きは市バスだった。

 『Suicaは使えませんよ』

 なんや古いバスやのう。
 と先ほどの恩も忘れて思い浮かべていると、千円札を入れても千円分のコインが出て来なかった。

 『おつりが出てくるんですよ』

 …アカン、俺のほうが古いわ。
 

 横浜市交通局に限らず、公営事業は必要ではないかとあらためて考えさせられる。
 
 …また全然違う話になってもうた。

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ストレスの墓場-身近なクワイエットルームとは?

 映画「クワイエットルームへようこそ」は松尾スズキ同名の自著を映像化したもので、様々なストレスと悩みをもつ女性達(いや男性もか)の葛藤を描いた作品だ。

 内田有紀ふんする主人公・佐倉明日香が、気がつけば精神病院のクワイエットルーム(閉鎖病棟の隔離室)で手足胴体の五点固定されている所から話が始まる。
 その二日前、大量の睡眠薬と酒をあおって昏睡した彼女は、自殺行為再発への防護策が必要と判断されたのだった。

 明日香はバカキャラ好きで「面白い」ことが大好きな女性だ。放送作家の鉄雄(宮藤官九郎)と同棲してからは、その手の記事を書くライターとして生計を立てていた。
 が、マジメな元夫が自殺、父は急死と、いずれも「面白くない」レッテルを貼り、自分とは別世界の住人と決め付けてきた男性2人の訃報が相次いだことで、彼女は不眠症にさいなまれる。

 なぜ、喜怒哀楽をともに出来なかったのか。
 相手を追い込み、死に至らしめたのは自分ではないのか。

 それ以前に、
 なぜ、自分と周囲は違うのか。うまくいかないのか。
 ストレスの要因は突き詰めれば、そういうところにある。

 さらに言い換えれば、自分との価値観や生活慣習の違いをより感じるほどストレスは高まる。たとえそれが、理想の姿と現実の姿のギャップというように自分の中での感覚のずれであっても、ストレスの要因となりうる。

 よくこのブログでも書いているが、「なりたい姿」を追う人ほど、ストレスと挨拶する回数は多いはずだ。
 あと、周囲の評価を気にする人も、自分と他者とのずれで、ストレスを呼び込みやすい。

 自立型であれ、他者依存型であれ、ストレス要因を抱えていることには代わりがないのだから、たまったストレスを撃退するか、あるいは無視して自然消滅させる対策が、誰にでも必要になるだろう。


 というわけで、映画「クワイエット…」のパンフレットにヒントが書かれていた。
 心理研究家の津田秀樹氏によると、疲れた心をほぐしてやること、心の「休息」(いわゆるストレス解消法)が大切だという。

 休息にも二種類あるらしい。

 消極的休息-身体を休ませること、何も考えないようにすること
 積極的休息-あえて軽い運動をして、日常とは別の体験をすること

 やはり積極的休息のほうが、回復効率は高いそうだ。
 不快となる「自分の思いとの違い」を、別のベクトルで心地よい「違い」を感ずることで相殺すれば良い。
 
 では、違う自分を体験できる手法とは何か。
 思いつくままに羅列する。

  友人との交流
  家族サービス
  旅行
  スポーツ
  映画鑑賞・読書

  お稽古事
  ショッピング
  ファッション
  食事(グルメ)
  喫煙

  仕事(ただし、休暇がストレスになる危険性大)
  ネット生活(違う立場の体験および、違う縁を体験。)
  飲酒(日常化の場合は効果薄。)
  恋愛(不倫・浮気は効果大?)
  夜に夢中の行為(単数・複数以上とも。日常化の場合は効果薄。)

  経済活動(特に副業として。損した場合はマイナス。)
  宗教活動(日常化している場合は効果薄。)
  奉仕活動(あくまで主観としての充実感。「プロ市民」)
  政治活動(選挙、デモなど。「政治ゴロ」)
  風俗(受けたサービスが期待外れならマイナス。)

 --以下、違法(絶対にお勧めしません)--

  違法薬物摂取(違う感覚を体験、作中の鉄雄も愛用。) 
  特殊な経済活動(ナントカ商法の類)
  私設賭博(違法の緊張感もあり効果大?も、逮捕リスク大。)
  暴言暴力(違う役割?を体験、逮捕よりも信用失墜リスク大。)

 結構、あるものだ。
 というより、ほとんどの生活行為がそうではないか!

 もちろん、依存しすぎれば「中毒」になるし、
 「違う体験」で解消できないと思い込めば、「自殺」に走りやすくなる…。


 「クワイエットルーム」に始まった精神病院の日々は、明日香をライター稼業から引き離すだけでなく、これまでとは違う思考の場を与えてくれた。
 結果として彼女は、人生ではなくストレスの墓場を得られた。その後の結末は、小説を読むなり映画を観るなりして欲しい。

 何であれ、日常とは違う「感動」があれば良い。
 マンネリや繰り返しから、少し軸をずらせば良い。

 誰の身近にもストレスの墓場はあるはずだ。

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8歳年下の女性を自宅へ連れ込んで・・

 相手は長崎県在住の学生さん。ブログを通じて知り合いました。
 で、小倉でお会いして意気投合したので、観光を兼ねて大阪にある自宅へお連れしました。

 ふふん、文章は書き方次第やねえ。


 といっても、これは私の話ではない。
 久々にニュース記事から考えるネタだ。

 20歳の会社員(男)が、12歳の小学生(女)を自宅で8日間泊めた事件。
 ただ、男の呼びかけに応じた小学生は、家出の置手紙を残してから、男が迎える小倉まで単身出てきたらしい。

 小6女児を誘拐の男逮捕 長崎から大阪に8日間 …産経新聞
 「お兄ちゃんは悪くない」誘拐の女児 聴取に口閉ざす …産経新聞

 ブログで知り合った小6女児を誘拐、容疑の20歳男逮捕 …朝日新聞
 「お兄ちゃんは悪くない」女児が男をかばう 小6誘拐事件 …朝日新聞

 未成年者誘拐:ブログで知り合い、小6女児連れ出す 容疑者を逮捕--長崎から大阪 …毎日新聞

 諫早の小6女児誘拐で大阪の男逮捕 ブログで知り合う …長崎新聞

 小6女児を8日間自宅に、20歳男逮捕…ブログで知り合う …読売新聞


 以上、容疑者に対して好意がある順に並べてみた。
 もちろん、私の判断でしかないが。

 表現とはこんなに違うものである。

 昼休み中なので、今回は簡単に。
 

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数々の挑発と、「なりたい姿」の追求と。-対米英開戦とある経営者の共通点?-

 私はいわゆる「難燃性」の人間である。

 特別に「自分はこうなりたい」という希望を抱いているわけではない。
 語調や言動からは攻撃性や指導力が高いように思われているようだが、本音では気楽に生きたいと思っている。世の中の流れに沿った、「なれる姿」を目指している。

 だから、「明日の自分が、今日の自分より成長していると嬉しい」などと聞くと、偉いなとは思うけど、私自身はそう考え続ける気にはなれない。
 
 「なりたい姿」というのは、外的情報によって各人の脳に作りこまれたものであり、「なれる姿」と一致することは簡単にはないと考えているからだ。

 「なれる姿」と「なりたい姿」がずれるほど、無理が生じる。おのれ以上に周囲を不幸にする。気がつけば、自らを死に追いやる。
 年間3万人以上の自殺者がいる国・日本。
 あくまで仮想にしか過ぎないはずの、「なりたい姿」への義務感・束縛感に追われている人は、泣きたくなる以上に多い・・・

 ・・・もっと、気楽に生きようよ。イラクとかウガンダでは生きることすらままならない。
 ここはご年配の方々を見習えば良い。「(まず戦争は起きないだろうから)命を奪われることはない、だから無茶苦茶やれる」って。極端ではあるが。


 また「戦後レジーム」という言葉を使いたくなるが、米英を大向こうに回して無理な戦争をしてしまったわが国も、その時代の「なりたい姿」があったはずだ。もちろん、なんらかの外的情報を元に、当時の要人たちの頭の中で描かれた姿が。

 要人の最高位はなんといっても、昭和天皇である。
 陛下がどのようにお考えだったかは想像できないが、少なくとも陸海軍の一部や煽られた代議士たちよりは遅く、公家系(近衛文麿など)や外交官(吉田茂[=麻生太郎の祖父]など)よりは早く開戦を考えたはずだ。日本の意地をみせるというのか、「なりたい姿」を崩さないための決断を。ただ、終戦に動き出した順番がこの逆だったことから、陛下は日本指導層全体の中間意見をとったとも考えられる。

 おそらく、昭和天皇を含む要人たちは、当時最高権力を誇った英国、その次の米国、あるいは独仏などの欧州各国の姿を見せられては憧れたのだろう。その外的情報をもって、では同じ海洋国でも東洋にある我々はどのようにあろうか、などと必死に考えていたに違いない。
 人口が増えたので、植民地経営、つまり帝国主義でもやってみようか。だったら、英米とはちょっと違った形も考えてみるか、いや似た形でもいいかとか。


 たぶん、この構図は今も同じはずだ。

 国の内外に関わらず、意図の有無にかかわらず、常に外的情報は個々人の欲を挑発する。
 
 最近だと、ビリーズブートキャンプがはやったことで、有酸素運動系のダイエットによる「やせた自分になりたい」人が増えた。
 ある後輩は、みずから「ブートキャンプ企画」を立てるわ、そういうことに縁がなさそうな技術系の後輩までもがジム通いに走るなど、身近でも痩せをめざす人が目立ってきた。

 が、難燃性で挑発にのりにくい私にすれば、相変わらずの生活を送っている。

 週の半分は自転車で通勤するようにしているのだが、その途中にフィットネスクラブがある。
 ガラス張りの内部をみて不思議になるのは、バイクマシンに乗る人の多さだ。

 色々事情はあるのだろうが、景色が変わって生活の一部に自転車移動が組み込まている私と、ジムの中だけでの自転車運動を意図的に行う人々との間にはどれぐらいの差があるのだろうかと考えてしまう。
 私の場合は、移動手段だから電車賃やバス賃を節約できる可能性がある。だが、バイクマシンに乗る人はジムにお金を払っているのだ。(もちろんバイクマシンは強度を調整できたり、あるいは交通事故の心配がないなど様々な長所がある。キロ単位での自転車移動はそれなりにリスクが伴うのだ。)

 と思うと、大変申し訳ない表現だが、
 「ジムにでも通わないと運動できないよ」との挑発に乗ったとも思える。

 もっとも、わかっていてやる分にはよく、「お金でも出さないと自分は動かない」と判断するのは一つの手だろう。だが、単に挑発に乗っただけで反射的にジムに入会するのはいかがなものか。(もちろん、バイクマシンに乗っている方は、ジムを活用しているのでそんなことはないとは思うが。)

 
 会社の経営者でもそうだ。

 たとえば規模10倍の会社に1、2年で追いつこうとするには、それなりの方策や覚悟が要る。
 が、何も案がなく「10倍に」と言っているだけでは、「タダの馬鹿」扱いされて、信用を失うだけだ。上場しているなら株価も下がるだろう。策や案がないのなら、「なれる姿」をちゃんと追うほうが、賢明だ。

 もし、なれる案のない「なりたい姿」を掲げている経営者がいたら、その会社は危ない。が、それにもかかわらず収益や製品・サービスの質が落ちてないということでなら、先が明るい。
 つまり、従業員は「なれる姿」を知っていることになり、その経営者がいなくなれば、上意下達による既存業務への妨害がなくなり、堅調な成長が望める。株を買えば、中長期的に儲けがでるだろう。

 70年ぐらい前の戦争もそうだったのかもしれない。
 指導層が国の意地(天皇制とか国体維持?)を優先する気持ちが強いから、次の層以下(戦時中は商工相だった岸信介[=安倍晋三の祖父]などを筆頭に)がいくら「この戦争は頭を下げてでも避ける・止めるべきだ」と腹では思っていても、指令システム上それは許されない。だったら戦争に突っ込んでしまえ、負ければ狂った指導層(や、煽る国民も?)が消えるからそれもありだ!と、投げやりになっていたエリート達は少なくなかったのではないだろうか。

 皮肉な話、外的情報で「なりたい姿」を固めすぎたトップに対する薬は、やはり外的圧力だということか。

 そういえば、これは指導層の人物ではあるが、漫画・ジパング(かわぐちかいじ著)で、戦時中の米内光政海軍大将が、日本国民を犠牲にしてでもこの戦争にしっかり負けて、国を変えるきっかけにしたい。などと言っているシーンがあったな・・・
 
 翔ぶが如く(司馬遼太郎著)の西郷隆盛も「まだ、ユッサ(戦)が足りもんそ」と、新生にはもう少し破壊が必要だと言うてたっけ。戊辰戦争程度では日本は変わらないと。

 ちょっと話は戻るが、選挙民特に若年層から麻生さんが受けながらも、福田さんが勝ったのは、しっかり「なりたい姿」を持っている人と、柔軟に「なれる姿」を語る人の差だったのかもしれない。

 その時代時代にどちらも必要な人材だとは思うが、若い層からすれば、そろそろ「なりたい姿」を目指す人が出てきてもいいかな?と思う頃合いでもある。もちろん、無理がたたって今より悪くなることもあるだろうが、後悔は少ないはずだ・・・

 あ、後悔したくないから、戦争やってしまったのかもしれないな。。
 多くの国民(というか朝日などのマスコミ?)が後押ししてたぐらいやし。

 何が良えんかわからへんな、ホンマ。
 

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