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バカは必ずしも悪いことではない。

 クリスマスは、一種の祭りだと思っている。

 祭りとは、和風に言えば「ハレ(晴れ)」の日。
 バカになることが、大いに許される時間だ。

 が、意図してバカをやることと、ホンマに「バカ」と思われる言動は別物だ。
 世界基準でみて、日本の学生の学力低下が指摘されるこの頃、特に読解力の低下について、遥洋子女史が嘆いている。日本経済新聞のサイトからだ。

 遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」 日本人はバカになったのか?

 当初ウーマンリブ的な発言を予想した私だが、読んでみると彼女の意見は筋が通っていて面白い。他の記事もうなずける。自分のバカさがわかっているという、本当の賢さが伺えた。

 一部、引用させていただく。

私はもう一度言った。
「ですから、天ぷら“うどん”ください」
「確認いたします・・・」
「しなくていいから、天ぷらうどんください」
しかし店員は確認した。
「天ぷらをうどんのほうで。おひとつでよろしいですね」
私は言い方を変えた。
「天ぷらうどんを、うどんのほうで。私は一人ですから、ひとつください」
「わかりました」
うどん屋で、「天ぷらうどん」とひとこと言えば、うどんが出てくる時代は終わった。

“読解力”というが、読んで理解する力というより、まず言葉自体がきちんと届かない。

 言葉が届かない。
 10年前にすでに似たような体験をした。

 学生ながらイベントを運営していて、自ら4tトラックを運転して会場に機器を搬入していた。

 左手の助手は男子大学生、当時2回生だったと思う。
 一方の私は4回生で、すでに就職も内定していた。
 携帯電話が浸透し始めた頃の話だ。 

「俺は運転に専念するから、携帯がなったら後で話すと言うてくれへんか。」
「わかりました。」

 しばらくして、着信音が鳴る。
 が、その学生は電話を切るどころか、私に回してきたのだ。
 ちょうど交差点のカーブを切るところ。
 『そっちの電話も切れ!ボケが!』(心の叫び)

 あらためて説明する。
「後で電話する言うて、電話を切ってくれへんか。」
「わかりました。」

 また、着信音がなる。
 また、彼は電話機を回してきた。

「どんな内容かわからないじゃないですか。」と彼は言う。
「着信履歴で誰が電話してきたかはわかるから、着信の事実が電話に記録されたらええんや。それを見て俺が掛けなおすから、『(運転中なんで)また掛けさせます、すんません。』言うて、切ってくれたらええんや。」とここまで説明した。

 またまた、着信音が。
 またまた、俺に電話機を回してきた…
 
 『もうええわ』(心の叫び)

 漫才の原稿を書いているような気分だ。
 もう、20世紀の当時からそういった傾向はあるのだと思う。

 確かに、三たび携帯電話を回してきた彼は、「携帯電話」そのものに慣れていなかった可能性がある。が、さらに10年、情報の更新だけでなく流入量も格段に多くなった今、遥女史が嘆くような状況はより増えているのだろう。

 流入してくる情報をまともに受け入れていては、読解できる規模ではなくなっている。
 選択できる情報が増えれば、人はもっとその情報を解釈して判断するかと思えば大間違い。多すぎる情報の流入を本能的に限定するケースが圧倒的に多いことを気づかされる今日。

 クリスマスというイベントも「この日こそは、家族サービスを」「この日こそは、男女関係を盛大に」という、一種の情報限定だ。

 『バシバシ、関係の宣伝をさせていただきますよ(byマスコミ各位)

 で、その消費を促す情報発信合戦を素直に受けて、深く判断しないバカになっておけばなるほど、「クリスマスはそういう日や!」と楽しめる度合いが強まる。いい時間が過ごせるはず。

 遥女史が立ち寄ったうどん(そば)屋にせよ、一回目の「天ぷらうどん」で、『はい、天ぷらうどんですね。』とすぐに返してしまえば、後はヒマになってしまう。2回ぐらい聞き返したほうが、仕事をやった感が味わえるだろう。

 やっぱり、バカのほうがいいのかもしれない。

 だが、うどん屋や三たび携帯の学生では迷惑をかけるので、
 賢いバカがいい。
 バカである自分を味わえる、賢いバカ。
 
 そのルーツ?は江戸っ子にあるのかもしれないと、かの春風亭小朝師匠のインタビューを読む。

 朝日新聞書評欄・江戸ノベルズ-日本人のルーツは江戸にある

 また一部を引用。

最近は高座に上がると客層が変わったことを実感する-。

「増えたのは、若い女性とサラリーマン。中には日中、仕事をさぼってきているような人もいますよ。今の世の中って、テンポや情報量が、人の限度を超えているんじゃないかな。それを息苦しいと感じている人が寄席に来ているような気がするんです。落語のゆったりとしたテンポの笑いや、自分と同じぐらいダメなヤツの噺に癒やされるんでしょうかね」

 ダメなヤツ、バカな自分を楽しむ余裕。
 それでゆとりが出来れば、バカの時間をやめればよい。 


 年収が俺の3倍以上ある友人がいる。
 明らかに賢くて、出来るヤツ。
 
 だが、バカの部分が少ない。
 余裕がない。(月に一度しか休みがないから当然?)
 全ての情報をいちいち噛み砕いて、判断しているというのか、端で見ていても『面倒くさ』と思ってしまう。

 そのことで、自分より出来ない人間に対する思いやりとか、あるいは文化的な深さを解するゆとりを失っているのだろうか。
 文化に対する対語として『文明的』過ぎるとと言えば良いのか、マジメに処理能力の徹底を追求している姿が、時折痛ましく感ずる。

 『今日はバカでいよう』と思う時があって欲しいのだが、
 彼はその『バカ』を、俺よりも憎む傾向がある。

 彼は、周りの『バカ』も認めてはならない環境に慣れすぎた。

 他人の仕事は50%でよしとして自分は60%平均で行こう、でも必要ならば120でも150%でもやろうと思う俺に対して、常に100%以上を強いる業界がある。(宗教ならユダヤ教、とかだろうか。)

 それに比べれば、「天ぷら"うどん"」を三たび聞き返すバカさ加減のほうがよっぽど人間味がある。
 違う『面倒くささ』はあるけれど・・・


 争いの種が絶滅することはない。

 俺もバカを含んでいるから、あなたのバカも認めましょう。

 と、適度な寛大さが、平和を築いてゆく。

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