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パリと広島と松山と。戦争の回避について

 フランスはパリ郊外・シャルル・ド・ゴール空港。軍人あがりの大統領名がついたこの施設で、アメリカ人らしき人物が空港職員とやり合っていた。アメリカ人はさらに大声でアメリカ英語の質問を続けるが、職員はフランス語を押し通す。

 何だあの職員は!と思っていると、同行していた先輩が教えてくれた。『フランスは国の栄光を重んじる。だからアメリカ的な威圧には屈しない態度を続けるのだ』
 私も職員に聞きたいことがあったが、拙い英語を使うのはまずやめて、「s'il vous plait.(すみませんが~)」から入ることにした。すると職員は笑顔になり、その後は英語でOKだった。誇りを重んじる人間には譲る。当然といえば当然だが。 
 →ご参考:この後で、同国リヨンで私がカルフールの社員とやりあった顛末

 後で調べると、空港職員は国家公務員であり、なんらかの教育が施されているのは容易に想像できる。それ以前にフランス文化省は、国民全員に国威発揚教育を施しており、フランス人であることの誇りに疑いをいだかないような体制を築いているそうだ。

 なるほど、だから、実質的には二次大戦で負けていたにもかかわらず、国を挙げて国際的地位を守ることが出来たのか~(今も、経済力では米中日独英に負けているが、国際的地位で言えば、3番手ぐらいに食いこんでくる。)
 
 ただ、誇りは衝突の種であり、戦争の源でもある。
 その反面、誇りを持たずに弱気になれば、勢力の一方が暴れ者であった場合はそこに付け込まれる可能性が高い。一方的に蹂躙されて偉い目にあう。シャルル・ド・ゴール空港の職員だって、アメリカ人客に付け込まれないよう、あえて強気の道を選んだのかもしれない。
 
 誇りを胸に気を張り合いつつ、お互いが認め合うことが戦争回避の一歩ではないか。弱気でいれば争いの種はなくなるというのは嘘である。

 そこで、こんな記事をみつけた。

 ヒロシマ青空の会・第二集・竹村伸生氏のご証言「爆心八百メートルの記憶」より、被爆証言の最後をくくる部分である。(できれば最初からお読みいただきたいが、抜粋する)

(前略)
 慰霊碑の碑文に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と書いてあるでしょう。けれども、あれを見た時、被爆者として憤慨しましたよ。大学の先生が考えて、意味に含みがあるんでしょうが、ちょっと考えたら「二度と繰り返しません」って言っても、やられた者が繰り返すはずがないでしょ。そんな馬鹿な文章はない。あれは問題になったんですよ。私は見たときにカチンときた。
 それを書いた先生が説明するには、英文でWe、我々と入っているのが、日本文では抜けていたということですが、先生の言わんとしたことと、あの碑文に載っていることとは違う。自分が悪いことして、こんな悪いことしてはいけないというならわかるけれども、あれを見たときは頭にきた。
 Weと言ってやっと世論が収まり、それからNo More Hiroshimaという言葉が出てきたそうですが、でもねえ、私らが語り部をしていて憤慨するのは、最近聞いた話では、先生が、原爆が落ちたおかげで戦争がすんだんだという教育をしている。私はびっくりした。そんな先生がいるのかと。しかしそれは事実らしいですよ。
(中略)
 私はイデオロギー的なものはありません。自分独自で、平和のことだけを考えています。核兵器廃絶、恒久平和ということを唱える団体などがあるけれども、私は核兵器はなくならないんじゃないかと思う。
 今でもアメリカは、テロ用の小型核兵器を開発したりしている。アメリカ自体がおかしい。自分がちゃんと持っていて北朝鮮にはどうのこうのと言う。自分がなくして言うならいいけれども。
 私は、核兵器廃絶というのは言葉で言うだけであって、実際にはなかなか難しいんじゃないかなっていう気がするんです。
 しかし核廃絶より、いかにして戦争しないか、平和でいるかを考えることはできる。
 核兵器をなくすことよりも、平和を実現する方がたやすいんではないか。子供にも話をするんですが、命の尊さ、思いやりのある人間になってほしいと。
 国と国が争わないのが平和だから、みんなが平和な心を持たなければいけないと。私としてはもう二度と使ってはいけないということを何とかして実現させたい、手段はいろいろあるかもしれないが、今はそういう気持ちです。(終わり)

 私は涙が出そうになった。
 幸い命を拾われた同氏は、火傷を負い放射能後遺症にも悩み、結婚したがついに子を授からなかったという。仮に子が生まれても五体満足ではないのでは?との恐怖があったという。そのご苦労された方がおっしゃっている。

 私の子どもの頃にくらべて単純な平和活動家が減ってきたけど、何か勘違いしている方々は多いのではないか。
 ここで言えば、核兵器そのものが悪い。大人しく謝ってればいい。あの頃は軍部が強かったから悪い。とか、部分々々の問題しか語られてないような気がする。全くもって、厳しい時代から歩まれた先輩方に失礼だ。

 個々の現象を語る傾向はやめて、戦争行為を回避・極小化する目的を達する手段について、タブーなく考えればよい。確かに、戦争でもしなければ命が守られないという状況もあり得るが、その状況を先回りで避ける方法を考えればよい。

 争いには必ず相手がいる。
 では、相手の発想を予測すればよい。
 その前に現状をどうもって行くかを、下記のような条件で優先順位をつけてゆく。

 1.自分も相手も幸せ
 2.自分か相手の、どちらか一方が幸せで、別の一方が並み
 3.自分も相手も並みぐらい
 4.自分か相手の、どちらか一方が並みで、別の一方が不幸
 5.自分も相手も不幸
--以下、戦争状態になる可能性高し--
 6.自分か相手の、どちらか一方が幸せで、別の一方が不幸

 ずうっと1.でいるのは難しいので、3.以上のキープを目指す。4.5.になりかけても、お互いが幸せではないから、妬みや不満は生まれにくく互助精神も働きやすいだろう。

 問題は、6.だ。
 『なんでアイツだけええ目に会うてんねん』
 関西弁で書くと、また関東の方々から怖い土地だと思われそうなので、
 『なんでアイツだけいい思いしてんだよ』
 と、一方的なストレスが片方にたまると、負のパワーに変換されやすくなる。プライドを取り返すべく実力手段に訴えたくなる。
 
 この状態を避けるためには、

 イ.相手の不幸な状態を解消するよう援助する。(支援)
 ロ.不幸だと思わせないように教育する。(啓蒙・洗脳)
 ハ.相手を自勢力に取り込んで、不幸な状態を解消する。(併合)
 ニ.不満を出すために力の恐怖で押さえ込む。(抑圧)
 ホ.実力を行使する(弾圧)

 だいたい、この 5種類だろうか。
 
 最上の策は、相手に誇りを持たせつつ支援する。誇りを持たせるためにある種の洗脳はするかもしれないが、イかロまでに収めれば、まあ平和である。
 が、ハと二は誇りや尊厳を奪うものであり、やり方を間違えばストレスがたまって、やはり平和を遠ざける要因になる。ホはさらに論外だ。

 民間人の私でさえ、ここまで考えているのだが、少なくとも高校までの先生方がこういう切り口で話してくれたケースをいまだに思い出せない。例外として文化論の切り口から語ってくれた高校の国語担当教師がいたが、専門違いだから、そこまで突っ込んだ話ではなかった。


 では、プロである政治家の方々はどうお考えだろうか。
 わが国で数少ない安全保障系の専門政治家といえる、石破茂前防衛大臣の著書を立て続けに読んだ。

  国防(新潮社版)
  国防の論点―日本人が知らない本当の国家危機(森本敏氏、長島昭久氏との鼎談・共著)

 私なりのまとめを言うと
 「私はこれが出来ますから、貴方はこれをしてください」と交渉できるかどうかがポイントである。

 冷戦という例外的に安定した時代はすでに過ぎ去り、ソ連-ロシアへの布石としての在日米軍の重要性は減っている。そろそろ撤退・再編したいと、経費を負担しきれなくなっているアメリカから不満を持ち出している。(同国の産業空洞化は、日本加工技術力の世界制覇が原因という点からも、そりゃあ不満だろう。金融で儲けられるのは先が知れているから…)
 これからは、(いわゆる思いやり予算の)負担を減らしてくださいとだけアメリカにお願いするのではなく、ここは自衛隊でやりますから、沖縄の基地は要りませんね、だから退いてくださいと交渉する。北朝鮮発の核兵器対応としてのMD計画もなるべく自前で進めて、米側の負担を減らしましょうよと。だが、多くの政財界関係者は米軍任せによる安全保障に慣れてしまっている…

 ここまでハッキリと、しかも現役の大臣を経験している政治家が語ってくれたのは、喜ばしい限りだ。日米安全保障条約の枠内でしか語れてないのは仕方がないけど、現実的で好ましい。

 10年前まではこんなことを書けなかったと思う。
 原爆をはじめ非戦闘員まで死の被害を浴びた恐怖が、50年経っても残っていたからだ。
 それだけ、アメリカは非人道なことをしたのだ。日本に(実は安あがりに)軍隊を使われて、しかも商売のネタにもされても、文句は言えないだろう。(その分、しっかり国債を日本政府その他に売りつけたり、金融機関をつぶしたり不安を煽って下がった日本株を買ったり、色々と回収はしてきていますが…)
 
 難しいことを語っているように見えるが、竹村翁の危惧している平和が破られる隙があるということだ。そろそろ退きたいアメリカと、頼むから居続けてくださいとの日本の旧来政治家の態度に大きなずれがそうさせるかもしれない。

 まあ一般庶民としては、自衛隊員への感謝と、単純に平和を訴えるだけの政治家を落とす投票を心がけるぐらいしかないが。(それが大きいことではあるが)

 
 10数年前、パリと誇りを争っている街があった。
 坂の上の雲でも話題になりつつある、松山である。
 ある一枚の観光ポスターが目に付いた。

 『パリはパリ、松山は松山』

 同行していたのは、おなじみのヤーニン君。この文句がいたく気に入りテンションが上がったようで、すぐそばの古本屋でマンガ巨人の星の単行本を全巻買ってしまった。さらに高知をまわるというのに、旅先で荷物を増やすバカさ加減である。
 なぜか、私も十数冊ぐらい持たされた (T_T)
 
 そのヤーニン君が、間接的ながら平和に関わる仕事に転職すると聞く。
 テンションが上がっただけで巨人の星を買うという、前後感覚のなさが極めて不安ではあるが、上記の話はわかる男なので応援したい。

 …どうか、ボロが出ませんように。。

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コメント

どーも。ヤーニンです。
この文章の中で、私の名前が出てくるとは驚きました。

『パリはパリ、松山は松山』

この文句は貴兄も好きであろう

『うちはうち、よそはよそ』

といっしょだから気に入ったのではないかと考えます。これはうち(注:自分の家族)にはうちの良さや家訓や誇りがあり、よそ(注:他人の家族)にはよその良さや家訓や誇りがあるもんだ、というヤーニン家の家訓(?いや口癖と言った方が正確か)です。(貴兄の家訓だったか??)

この言葉、他人の家族と比較した時のただの負け惜しみのようにも取れますが、

『変な劣等感を持って(自分や家族のことを)不幸と思うなかれ』

という意味だと私は解釈しています。
これ以上書くとボロが出そうなので、ここらへんで失礼致します。

投稿: ヤーニン | 2008/09/07 00:45

>ヤーニンさん

あらためて、健闘を祈ります(^_^)

『うちは~』、我が母の言い種で、以前にこのブログでも書いてます。

言い換えれば、
『隣の芝生は青くて良い、ただし当方に不利益を与えなければ』
となりましょうか。

おそらく、
羨み・妬み・憧れ・奢り・辱め
のうち、2つぐらいが頂点に達せば争い、
ひいては戦争の要因になると、勝手に考えています。

特に最後の一つは強いですね…

投稿: こんだぃ=筆者 | 2008/09/07 18:51

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