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(定例記者会見)ブログの休止について

前説の芸人:近藤師匠、お入りでーす。

(記者一同と近藤が礼)
 
近藤:ご多忙のところ、お集まりいただきありがとうございます。秋分をすぎて朝はめっきり涼しくなり…

司会:長くなるので、やめてください。

近:(何やねん、コイツ)では、質問に入って。

A:○×新聞のAです。最近のモーニング娘。についてどう思われますか?

近:いきなり核心を突いてきたか。(会場・笑い)リーダーの高橋愛がドラマ主演をやるらしいけど、現役メンバーでいちばん残りそうなのはあの子かな。あと、田中れいなも独特の強さがありますね。では次。

B:週刊体臭のBです。今年のプロ野球・セリーグの行方は?

近:広島カープがクライマックスシリーズで通算4勝はしますね。つまり、第2ステージまでいって、阪神・巨人の両方と戦うでしょう。大竹の出来と、永川の安定性で決まってくる。 って、何の記者会見や。次。

C田兵衛:織田家家来のC田兵衛でござるが、火薬の調達方法で悩んでおりまする。ご意見くだされ。

近:(こんなんまで紛れ込んでるのか…)越中五箇山と飛騨白川郷で塩硝の生産が可能になる。さっさと攻め押さえて、ここでも参照されよ。

兵衛:わしはパソコンなどもっておりませぬ!別の方法でお見せくだされ。

近:兵衛殿にプリントアウトしてやってくれ。…って、何でパソコン知ってんねん。

兵衛:申し訳ございませぬ。今、城から急報が。

近:携帯は持ってるんか! 次の質問。

D:東京都(ひがしきょうと)スポーツのDです。ブログを休止されて何をなさるんですか。

近:(やっと、まともな質問やな。)何度もここで書いてきたけど、経済拡大のサイクルが明らかに終わりそうな情勢やと思います。たまたま上手くいった過去の経済成長とその体験に縛られず、もっとサボっていられる生き方を考えたい。当然、世のため人のためであり、人口が減ろうが一人当たりの食糧や土地が増えてラッキー・超ヤバくない、みたいな明るい未来はどのように築けるかをゆっくり考えてみたいです。それに麻生内閣は・・・

司会:次の質問。

近:こら!

E:京都府立X高校新聞部のEです。先輩の好きなタイプはどんな女性ですか?

近:(おぉ、女子高生か。)教養に基づいた羞恥心が美しい女性ですね。難しいかな・・・

E:キャーッ!羞恥心ってことは、つるの、野久保、上地の誰かが好きってことですか?ていうか、先輩ホモですか?東野幸治にも似てますね。がっかりしました、地元の恥です。

近:誰がホモやねん。その「恥」が、羞恥心の「恥」や。勉強し直せ、アホ。ちゅうても、ホモと東野幸治に偏見もつなよ。

兵衛:衆道でござるか?わしは上地よりも東野幸治なる男が…ムフフ…

近:わかってるんやったら、出てこんでええ。兵衛殿には湯漬けか風呂を使わせぃ。次や、次。

F:フランシスコ・ザビエルデス。アナタハ神ヲ信ジマスカ?

近:結局、戦国ネタかい!

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以上、なんかのネタにしてください。

ブログの休止については、長くても1ヶ月です。
気分によっては、明日にでも再開します。

苦情、ご意見はぜひコメントを。

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…にもかかわらず、笑うこと。

 夕方ごろ、出した稟議の件で経理の担当者がやってきた。
 「どう計算しても1万円ほど合わないんですけど、私の間違いでしょうか」
 『えっ?そうだとしたら、どうなるんですか』
 「出し直してもらうことになります。」

 色を失った俺は、かけていたメガネを机の奥に投げた。
 がすぐに、『すみません、取り込んでしまってるもので』と経理担当にいい、
 『すみません、私のミスで出し直しになりそうです、』と横の上司に詫びた。

 「なんだ、まだ経理担当でしょ、すぐに取り戻せるじゃないか」と課長である上司は言う。
 だが、その時の私にはえらく長い時間がかかるように思えて、急に疲れが来た。

 『とりあえず計算しなおしましょう』
 対応策を見つけた後の俺は、くそ冷静になる。だが、この会社の見積もりがそもそも見難い。PDFファイルなのは良いが、4ファイルに分割されている上に、それぞれ税抜き価格を見ようとすると、末尾の小計欄まで参照せねばならない。

 『ほんとに見づらい見積もりですよね…人のせいにしたくなる世知辛い世の中ですよね』とつぶやきつつ、『93万7100円…あ、これ税込み価格や。』と早速間違えながらも、経理担当の目前で電卓を叩く。

 結果、私が合計した価格で正しく、出し直しの必要はなくなった。
 
 「すみません、1枚目しか見ていなかったようで…」
 正直に経理担当は謝った。
 末尾の小計欄で合計されている配送料1万円分が抜けていたようだ。

 『いえいえ、誰でも間違いはありますから…』
 「では承認しておきます。」


 とまあ、こんな感じだったが、
 メガネを投げた時が、もっとも「笑い」から遠ざかった。

 まだまだオレはだめだ。
 カスである。


 ちゅうか・・・
 まず、この体たらくを笑うことから始めるか。

 この近藤、自らが半端者であるにもかかわらず、笑う。


参考:心の傷」は言ったもん勝ち 中嶋聡著 (新潮新書)

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勉強は1時間でやめろ

 幼馴染のP君(ヤーニン君ではない)は、予備校にも行かずに京大理系に現役合格して修士まで進み、エンジニアの道を歩いている。その弟も国立大に現役合格と、まさに親孝行の典型ともいえる兄弟だ。

 高校生時代、自室からもP君が学習しているであろう窓の明かりから判断しても、私の10倍は自習時間に費やしていたはずだ。それに同じ府立でも彼の高校は評判の進学校で、学習時間の通算は日に10時間を越えたであろう。それぐらいP君は学問が好きだったから、『勉強』と表現するのは彼に対して失礼だ。

 『勉強』が本来もつ意味は「つとめて励む」である。
 値引き交渉の時に、店員が「勉強しますわ」というのは正しい用法で、要は無理でもやります!という意思表現にあたる。もともと、自習のことを勉強なんて言わなかったはずで、出来る限り一定の生産力になるよう強制された、昭和初期以降にはやった表現ではないかと勝手に思っているぐらいだ。

 文部科学省で定めた学問が好きな人なんてそんなにいない。他の試験向けでもそう、自分が好きでもないことを学ぶ時は『勉強』であり、そうでないときは、ただの「学習」か、遊びだ(笑)。

 同じく高校時代のころ、地域の寄り合いから帰ってきた父がつぶやいた。

 「Pさんは大学出てはるから、話の内容が違うわ…」

 PさんとはP君の父のことで、歳を食った後で生じる高等教育の効果を、父は私に暗示したのだろう。とはいえ、その父は60過ぎても働き、週末に野球、夜は読書と相変わらず人生を楽しんでいる。職人ではなく大卒のサラリーマンになっていれば、今の生活はなかっただろう。
 『どちらを選ぶもお前の勝手や』が、父の本当の思いだとわかったのは、最近のことである。

 アホやから、せっかく金はあるらしいから大学に行こう。
 やむなく自宅でも勉強をはじめたのが、高校3年の終わりごろだった。

 ただし、没落して久しい当家は、「私学は現役のみ、国公立は一浪までで、いずれも通学圏。それ以外は自分で金を出せ」の条件がつけられる。とはいえ、私が属していたクラスは、私立文系対策と称して3年生のカリキュラムでの数学・理科は選択科目になっていた。

 仕方なく、センター試験を捨てて、某私学の傾向と対策に絞った。 これなら実質3ヶ月でもどうにかなるかもしれないと。で、一日90分以上は勉強しないとの目標だけを立て、それで試験に落ちればバイトして関東の大手私学を狙えばいいやと、適当に考えながらやっていた。

 その気楽さと、効率性が良かったのか、幸いにして(まぐれで)現役合格した。今思えば、試験6ヶ月前から一日60分以内にしていれば、もっと上を狙えたかもしれない。別に後悔はしてないが。


 勉強は1時間でやめろ!とお勧めする。

 もちろん、好きになって興味をもって『勉強』ではない状態にするのがベストだが、やむを得ず勉強した際に、1時間越えてもわからないことはわからないのだ。集中なんて永続するわけがない。

 昭和のような、誰もが一定水準の教養(というより知識)を強制される時流ではなくなったのだから、中学レベルを過ぎれば(小学レベルでもいいかも)、好きなことだけを学べばよい。15、6歳を過ぎても、大半の若者に同方向の勉強をさせるなんて、Mottainai!!

 逆に興味関心がハッキリしていなかったり、技能や芸を身に着けることが難しいのであれば、文部科学省が定める標準的な学問を勉強して、大学やその先に進学すれよい。そんな発想を父が身をもって教えてくれたから、私はそうしただけだ。

 というわけで、15年も前の話なので、今の受験生とは状況は違うとは思う。
 同世代人口が減っているなど、別の事情もあるだろう。

 だが、長続きする勉強など存在しない原則は、今も昔も変わらない。 

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友達は150人まで?

 流行になって久しい、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)。
 GREEはリンクが150名を越えた時点で面倒くさくなった。
 mixiも150が見えてきたら、やっぱり面倒くさくなった。
 ついでに年賀状も120通ぐらいで面倒くさくなって、増やさないようにした。

 というわけで、記事を紹介する。

 組織150人の法則 …松村崇ウェブサイト


(前略)
 何も電話やインターネットの世界でなくても、人間同士のアナログ・コミュニケーションにおいても同様なことが組織内で生じている。会社など組織の人数が増えれば増えるほど、相互関係が通信ネットワークでいうn(n-1)/2通りに増えていく。

 しかし、残念ながら人間の脳の処理能力には限界があり、認知可能で顔の見える良好な関係が維持できるのはせいぜいn=150人前後ではないかと言われているのだ。つまり、組織における人間の相互関係においては、脳の処理能力は11,175通りほどまでで限界となり、それを超えると所属している組織の性質が変化してしまうというのである。
(中略)
 新皮質率をホモ・サピエンスに当てはめると、147.8人という、ほぼ150に近い結果が出た。この150という数は、私たち人間が真正の社会関係(顔の見える関係)を営むことのできる最大の個人数を表していると思われると、ダンバーは言う。すなわち、相手がどこの誰で、自分とどのようなつながりを持っているかを知りながら良好な関係が維持できる集団規模が150人というわけだ。(攻略)

 ふむ、そういうことか。
 これまでにいただいた名刺の数は軽く1000件を越える。携帯のアドレス帳も400~500件。でも、使うのは、100件あればいいほうだ。ましてや、アホな私は人の顔を覚えるのが苦手で、実は人見知りだ。おそらく、世間の皆様からは、『そこまで人脈を増やさんでも』と思っているかもしれない。全く、その通りである。

 仕事上の研究もあってGREEを使い始めた時、リンク人数を競っている姿を見てはすでに心苦しくなっていた。それでもまだつまらない競争心が残っており、オフ会などで知り合った相手は快くリンク手続きをして、私からもお願いしていたが、ある日を境に面倒くさくなった。先述の通り、その数は150である。
 それで、mixiは方針を変えた。あくまで顔も名前も一致して、常に思い出せる方だけとリンクしていく。すると、やはり、130ぐらいで「もうええか」の気分になってくる。リンクしてない親しい人々が居ても、面倒くさくなっている。

 この法則、なかなか当たっている。
 そもそも、八方美人に務めてあの人ともあの人ともお友達ですと、永遠に広げていては、これまでの知己に失礼となる可能性がある(信用を失う危険性もある)。自然消滅したものは仕方がないとして、少しでもやり取りのある知友をおざなりにはしたくない。政治家や財界人、芸能人が千人万人の付き合いがあるように見えるのは、150名辺りを越えた所からは一方的に知られているだけだろう。有名人同士であれば、お互いを有名人として知っているというところか。とはいえ、150名を越えても彼らの感謝の気持ちは変わらないだろうし、そこが偉い。

 と、この時点で気がついたのは、「縁が自然消滅」する理由である。
 いずれか一方が150人枠を突破したがために、無意識に連絡をとらないようになった。こう考えれば自然だ。キャリア官僚になった友人や関西に残って20代前半で家庭持ちになった友人と連絡が途絶えた事例を思い出すと、いずれも彼らの付き合う範囲がガラリと変わった点で共通している。当たり前のことかもしれないが、付き合いを保てる人数に上限があるとの発想が、今は実に新鮮だ。

 映画監督が似たような俳優陣を使ったりする理由も、4位に終わった星野日本代表監督が同年の友人をコーチに誘った理由もこれで説明できる。人脈や影響範囲を広げ過ぎるとややこしくなるから、あくまで手元は身内で固めようと。

 私は33年しか生きてないので、途中までしか書けないが、こんなものだろう。
 同居の家族は除いて計算する。

 1.10代前半まで(~50名)
  …小中学生、地元の友人プラス

 2.10代後半(~100名)
  …高校生、部活の付き合い、校外=地域外へ

 3.20代前半(150名突破、無意識の入れ替え)
  …大学生または最初の職場、地域外や出身地以外へ
   2.以来の友人は30名ぐらいに減る。

 4.20代後半(150名維持、有意識の入れ替え)
  …学生以前の付き合いと職場の付き合いの比率が変化
   所属団体以外の付き合いはこの頃から減少に
   2.以来の友人は10名を切り、3.以来の友人も多くて50名ほど。

 5.30代前半(安定期、固定の数十名以外は自然入れ替え)
  …多くは、職場付き合いとごく一部の学生以前からの友人を固定層とする
   所属団体以外の付き合いはまずない。(つまり私が例外)
   2.以来は数名以下、3.以来は十数名、4.以来も十数名。

 だったら、これ以上、広がりがないではないかと言われるが、それは大間違いだ。
 それぞれの分野のキーパーソンと仲良くして、何かあればそこから広がればよい。

 The Tipping Point (Malcolm Gladwell)…アルコムワールド・読書マラソン(日本語です)


(前略)
流行の背景には3つの要素があると書かれています。

その3つとは
・Law of the Few
 [筆者注・少数者の法則=人の和?]
・Stickness Factor [筆者注・粘りの要素=地の利?]
・Power of Context [筆者注・背景の力=天の時?]
です。

Law of the Few というのは、要するにキーマンがいるということで、以下の3人の人が存在するんだそうです。

・Connector
・Maven(玄人、専門家)
・Salesman
[筆者注・営業、広報担当]

Connector というのは、いろんな人とのつながりがある人です。

「六次の隔たり」という考え方がありますよね。
要するに、知り合いを6~7人辿れば、世界中の誰とでも連絡を取れるということです。

この本で紹介されていたのは、学生に頼んで「知り合いを伝って△△にいる○○さんに連絡して」という実験をやったところ、実際にうまく行ったらしいのですが、そのときに大部分が、○○さんの直前に「とある人」を経由していたというのです。

そういう人が Connector です。
いろんな人のことを知っていて、「これだったら、あの人が詳しいな」とすぐに思いつくような人というのでしょうか。(時々いますよね)
知り合いの名字を思いつくだけ挙げてくれ、という実験をやると、普通の人だと30~40人くらいらしいのですが、Connector なら100とか200とか出てくるらしいです。

 このConnectorが重要である。
 それ自身は芸がないかもしれないが、なぜか人を繋げる能力はある。

 私は決して、営業体質ではないから、おそらくConnectorにはなれるかもしれない。
 だからこそ、150人以上も大切にしたい。
 一度切れても、戻る縁があることだし。(注・深い意味はない)

 だけど、あからさまにConnector要素狙いで近づいてくるSalesmanは困りものですなあ(苦笑)

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オダギリジョーと大泉洋

 先に言っておくが、俺はアッー!な趣味は持っていない。

 2人は素直さを感ずるというのか『どうせ、俺はこの程度だ』といった謙虚さが、自然と見受けられる。自然な謙虚さというのは自信のなさともとらえられるが、裏返せば『ここまでは別に笑われてもいいや』といった覚悟でもある。それは動かぬ自信に裏打ちされた余裕でもある。
 それで、トークもうまい。どこで拾ったのかわからない雑学知識を出してくるかと思えば、自分を必ず落として、ある程度の笑いをとる(この点は俺と共通している。)

 役者として、いやほとんどの職業人にとって、不可欠な脱力感が備わっているから、男の俺が観ても気が楽だ。あくせくしていないから、他の価値観を肯定しつつ周囲にあわせる(あるいは邪魔しない)ことができる。かといって、無理に先輩や先行者についていくこともなく、己の価値観には無形のこだわりを持っている面も伺える。例)大泉の物真似、オダギリのファッションなど

 最近よく書いていることだが、昭和の経済成長時における成功体験を引きずった方々、いわゆるモーレツビジネスマン系が、各方面でじょじょに邪魔扱いされている事実がある。「自分の頑張りに周りを巻き込みたがる」「何ごとも制度化を好む」「以前できなかったことを、時流を考えずに今やりたがる」と、このようなやりたがりの暑苦しさが、彼らにはない。
 その点でも、この2人は「やりたがり」が通用しない、次世代を写しているのかもしれない。

 男よりも未来を見る目があるだろう、女性の人気も上がっているのも当然だ。

 専門家でもないのに、あまり書き立てるとおかしくなるからこのへんでやめるが、俺は役者をやるなら彼らあたりが理想的に思っている。

 
参考:
  オダギリ ジョー『作品の魅力と自身の“しあわせ”観について語る!』(07/09) ORICON STILE
  大泉洋“独演会”に蔵之介、堺らがダメ出し!?『アフタースクール』初日爆笑舞台挨拶 …バラエティ・ジャパン

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学歴と健康

 日本では珍しい記事を見つけた。

 脳卒中の発症率 高卒女性が最低…厚労省研究班が調査 読売新聞

 中学卒や大学卒の女性は、高校卒の女性に比べて、くも膜下出血や脳梗塞(こうそく)など脳卒中を発症するリスクが高いことが、厚生労働省研究班(主任研究者=津金昌一郎・国立がんセンター予防研究部長)の調査で分かった。学歴に関連した発症リスクの調査は日本では初めてという。

 青森、秋田、長野、沖縄4県で、40~59歳の女性2万人を、1990年から12年間追跡し、最終学歴と、脳卒中や心臓病との関連を調べた。調査期間中、脳卒中にかかったのは451人で、中学卒の発症率は高校卒と比べ1・6倍、短大・大学・専門学校卒は1・4倍高かった。心臓病はほとんど違いがなかった。

 中卒のグループは運動量が少なく、肥満や高血圧が多いのが特徴で、大卒などのグループは心理的なストレスを感じている人の割合が高かった。研究班の本庄かおり・大阪大助教(公衆衛生学)は「予防のためには、生活習慣の改善に加えて、ストレスの対処法なども考える必要があるのでは」と話している。

 以前の記事でも触れたように、アメリカでは学歴別統計が盛んだが、わが国ではなかなか見かけない。ある種の「自主規制」だろうか。にしても、こういったことはやってもいいかと思う。
 
 『ストレスが多くて脳卒中か、大卒は大変やなあ』の感覚が広まるのはなかなかよい。入省2年目で鬱になったキャリア官僚とか、入行6、7年目で給食したメガバンク行員とか、あるいは退職後やることがなくなった、会社人間とか。大卒以上のエリートは恐ろしいまでのリスクを背負っている。心を壊しやすい職場にいるケースが多く、だから給料が高いんだと。

 大学出てインテリになることは、リターンだけでなくリスクもありますよ。
 こういう視点もあれば、無理に高収入を狙わなくても済む。少なくとも私は、自分より高収入で休みが多い人を聞いたことがない。たぶん、死ぬまでないと思う(これは言い過ぎ・笑)。だから、うらやむどころか、大変やなと尊敬の眼差しになる。

 各人のキャリアや立場の違いと特性に対する相互の理解。
 アイツも大変だな、出来る範囲で私はなんとかしよう。
 先の記事でも書いたように、「豊かさと貧しさへの相互共感(同情)」が復活しなければ、ますます対立は深まるだろう。嫌でも一定の貧富の差は生まれる。お互いを認め合い、必要時は助け合わねばならない。

 
 統計の内容が「女性」であったことも注目だ。
 学歴の高い女性は社会に出て、なにかとストレスを受けやすいということだろうか。納得だ。

 勝手な想像を続けるが、被験者の年齢でここ10年を考えれば、昭和の成功体験を引きずった男どもの無茶に付き合わされた世代だろう。『あれもやりたい、これもやりたい。この会議に顔を出せ、あの資料を作れ。』それは病気にもなる。仮に専業主婦になったとしても、高学歴者の夫はエリート層で会社人間である確率は高いから、家庭人としてはつまらないことも多いかと思う。(熟年離婚の原因)
 「昭和なイケイケどんどん」な輩は私の世代(30代前半)にもまだまだいるから、この傾向は変わり難いだろうな…

 私は、高卒夫婦(父は職人で休みも残業も少ない)の子だし、幼少の頃からストレスの原因にならない訓練を受けてますから、なにとぞよろしく。(ホンマか・・・違う意味でストレスを与えるような・笑)

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並んでまで食べますか?

 『モノのない世代の人が、なんでこないに好き嫌いがあるんや?』
 母は父の偏食に渋い顔をする。

 戦後生まれで兼業農家に生まれ育った母。物心ついてから空襲で家を焼け出され、その後も都会で育った父。

 さらに、「並んでまで食べない」という態度も強い。

 『並ぶと、食料配給を思い出してまうんや。給食にしても、出てくるのはマズい脱脂粉乳。ガバガバ飲んだったわ…』

 あれ?
 偏食…ではない。

 そうか。
 父の偏食は、ある種の意地というのか思想らしい。
 選べる時は、選ぶ。並ばずに済むなら並ばない。
 食に関しては、できる範囲の贅沢はするぞ、と。

 並ぶ不満を無効化するには、客がそれでも「旨いものを食べられた」と感じれば良い。
 が、これだけ並んだのだから、旨くないはずがない。といった、自己弁護的な心理作用が、実際のまずさを隠すことは大いにあるはずだ。

 父はその錯覚も嫌なのだろう。

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 某地方都市で有名な店での海鮮丼。
 一時間も並んで、さらに店内で15分待ってありついた。
 この前の晩に近所の川で取った(!)生きた鮎を友人が食べさせてくれただけに、気分がしおれた。待つ意味が全く違う。さらにこの鮎を、内臓を少し残して尾ひれが焦げるぐらいの加減で焼けば、もっと旨かったのにと後悔している。それぐらい味を覚えている。

 某地方都市の隣県の人々に言わせれば、魚貝類は自県のほうが圧倒的に旨いという。この街まで来るのは、服や高級品などの買い物目的であって、海産物を食べる気にはならないらしい。
 実際、その「隣県」でも魚を食べたが、確かに旨かった。海だけでなく鯉の洗いやヤマメなど川魚までもが旨かった。(注・地方都市との比較をしたわけではない。あくまで絶対評価だ。)

 うーむ。
 すでに海の幸に恵まれた隣県人はそうだろうが、
 京都盆地生まれの俺は錯覚だあったとしてもかまわない。

 それもまた、楽しさだと思う。
 もしまずくても話のネタにすれば良く、それはそれでありだ。
 味覚なんて、主観的なものだから。

 なので、味の善し悪しも店の名前も書かない。
 ご想像にお任せする♪

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