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2009年、情の時代へ。

 今年もよろしくお願いします。
 大晦日に食べた寿司のしめ鯖に当たったらしく、つい最近まで腹の虫と戦っておりました。
 まあ、そんなことも、これから書くことに比べれば大変小事で・・・

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 12月の自分は特に感情的だった。

 同じグループとの飲み会が2回連続で予定が合わずに、やっと3回目で行けると思ったら、参加者リストから外されていた。(別に参加に支障はなかったが、誤って外した人物は以前からそういうミスが続いていたので、別途注意した。)
 その上、同じ参加メンバーのいる別グループの二次会でカラオケをしたら、気づかぬうちに登録が消された上に、やっと歌った曲は第一コーラスで切られる。
 
 以前の経緯から、たまりにたまっていた俺は、
 『誰じゃ、消したんはコルァ!』と、騒がしさが残る中で怒鳴りつけていた。結局次の曲が始まり、歌い手がいなかったもんだから私が歌い、途中で帰ってきた元の主に返した…
 正直、態度としては大人気ない。もし不快に思われた方がいらしたら、年は越したがあらためてお詫び申し上げたい。

 冷静に考えれば、不都合の巡り会わせでしかないのだが、これを「しゃあないか」と心の底から思える人はそれほど多くないだろう。違いは私のようにその場で吐き出すか、それを溜め込んでしまうか、気にしないように努めているかの差であって、理性で全てを判断できる人間は圧倒的に少ないはずだ。


 自分がそうだから、私は人の「理性」を絶対視しない。
 そんな過酷なことを私はできない。
 理不尽に怒ってもすぐ覚めるのは、自分の理性が回復したからではなく、相手も完璧じゃないと思えるからだ。

 この10年間の世情はまさしく、「理性」の要求だった。
 小泉政権(竹中平蔵氏など)に代表される構造改革、自由競争や市場原理・株主至上主義への一方的な礼賛、経済金融理論の優越などなど、これらの発想は少なくとも大企業や欧米資本を潤すことは数字で説明できたから、とりあえず多くの(エリートたちの)「理性」を納得させた。

 資本家たちが完全に「理性」を発揮すれば、余裕のあるうちに富の分配を行って、市場成長を図るべく社会の安定を図ったはずである。さすれば社会全体に好影響をもたらせるだろう。が、潤った側は内部留保を高め、むしろ受益の格差を強めて弱者を増やす方向に走った。国内でいえばトヨタ自動車などは、最高益を上げた年でも工場派遣労働者の処遇を変えることはなかった(ex.秋葉原通り魔事件…実行犯はトヨタ系関東自動車工業の期間工)。あくまで豊田喜一郎以来築き上げた栄華を極めたいとする「情」が多いに上回ったようだ。
 ※次期社長・章男副社長の祖父にあたる豊田喜一郎氏は、織機特許の売却で得た資金の一部を全従業員に分配したり、約束に反して人員整理を行った際は、自ら社長を辞するなどしている。遠慮がある高潔な方だったらしい。→RESPONSE 【豊田喜一郎特集】いま明らかになるトヨタ自動車誕生の真実

 どこの会社にでもありそうなことでも、「理性」への期待が裏切られている例がある。
 実力主義だから年功序列給与体系をやめて、全社一括で一定期間の評価で変動する年俸制にした例がそうだ。
 納得にいたるは、この「評価」が理性的かつ公平であることが条件になる。が、人間の理性は絶対ではない。評価に好き嫌いの情実が入ったり、あるいは目立ちやすい営業や企画分野の働き手の取り分が大きくなりやすいのは必定だ。
 やがては評価で目立とうと、制度を取り入れた当の人事担当部署がさらに制度をいじって全社を混乱に陥れたりなど、モチベーションを下げた人々のほうが多かったのではないだろうか。他にも、評価者や運用者の理性を信じて全ての職種に導入した企業は、大抵の場合は何らかの問題を起こしている。ex)某大手テレビ局の視聴率操作、某製造業における自殺者増(強引な配置転換など)

 個人的には、営業や企画プロジェクト単位など損益が数値化されやすい分野では、期限評価型の年俸制は非常に有効だと思っている。まさに「理性」で判断できる世界。同業他社との比較も考慮して、市場競争原理を生かせばよい。
 それ以外の評価が難しい分野は、従来通り年功序列の固定賃金+残業代その他でかまわない。もちろん、その会社の規模や風土に応じたやり方で。情の混入で不公平感ただよう格差を生むよりは、常々からお互いをいたわるために情を使うほうが良い。内部競争をしない安心感がもたらす連帯感の強さは、日本企業の生産力の源だったはずだ。

 声を大にして言う、人間の「理性」に絶対の期待を持つな。

 これら近代を代表する自由競争主義や既存の経済学は、人間の「理性」を究極に生かせば「理想」の社会を築けるという前提に立っている。
 既存に打ち勝つ仕組みを新たにつくり、それ以外は全面の自由を持って運営しようと。

 だが、ヨーロッパ(構造改革の反省と言う意味では日本も)を中心に、中世・近世以来の伝統を重視する動きが強くなりつつあるという。やはり、人間の理性は完璧なものではないから、長年の運用をもって、社会の土台から適合性を裏打ちされた慣習を生かしていこうと。
 発生が自然であったこともあり、慣習や伝統の合理性や目的が明文化されることは滅多にない。すると、数値化された仕組みとの比較では敗れることが多い。これらを守るのは、あくまで人々の「情」だ。絶対合理ではなく、心情や感性に慣れたものであれば続けようとする習性である。

 では、なぜ「情」に厚そうな日本が理性の方向に走ったのかというと、やはり60数年前の敗戦が尾を引いている。勝戦国・アメリカは、ヨーロッパから出てきて理想郷を築こうとした人々の子孫とそれに共鳴した人々の国家である。つまり、「情」の支配に反発する集団だ。
 敗戦国の立場で勝戦国の市場で儲けようとしたわが国が、路線変更を迫られるのは当然だったろう。とにかく食べられるようにする為には、アメリカ様に従う(ふりをする)しかない。伝統的な風習も生かしつつ…なんて理性的な判断は相当難しかったに違いない。


 現役生活最後で、アメリカ・メジャーリーグに所属した桑田真澄氏が、昨年末のテレビ番組で一字を上げてくれと頼まれて書いたのが、 「情」である。
 昨年1月にも、このような話をされている。

引用元:パイレーツ・桑田真澄 最年長39歳でメジャー挑戦…報知新聞

  「ブルペンにいるでしょ、僕が。みんな水を飲んだ紙コップをそこらじゅうに捨てるんです。ガムの包み紙とか、ひまわりの種もたくさん落ちている。それを僕が拾ってゴミ箱に入れる。すると『ニコ(桑田の愛称)そんなことしなくていいよ、後で掃除をするヤツがいるから』とみんなが言う」 ―掃除をする人の仕事を取るな、という意識もあるとか。

 「そうかもしれない。でも、少しでも拾っておいてあげれば掃除をする人が、楽じゃないですか。それが人助け。相手を思いやる心ですよ」
―アメリカのいやな部分が、いろいろと目についた感じだね。
3月のオープン戦で右足首を負傷

 「あの事件も実はそうでした。審判との激突。最初、彼は『桑田はオレの方を見ておきながらぶつかってきた』と言ったんですって。見ていられたなら、ぶつからない。『I am sorry』を言わないんですね。自分の非を認めない。日本だったら、何はともあれ『ごめんなさい』でしょ。8か月、アメリカで生活したことで、日本の良さをヒシヒシと感じましたね」

 ―と、いうと。
「さっき『心』という言葉を使ったけれど、日本人には『情』もある。愛情、友情、そして人情。向こうにもその言葉はあるけど、情という言葉が持つ深みや、繊細さを感じない。アメリカは単純、シンプルですよ。レストランへ行っても大味。パスタでいうアルデンテ、ちょうどいいゆでかげんがない。イエスかノー、白か黒。物事には表と裏がある。光にも影があるのに、表しか見ない感じがアメリカにはあるんですよね。見えない部分は心で見る。それが日本の持つ素晴らしさなんです」

 「理性」の押し売りに疲れた人々が、
 やっと「情」の良さを見直そうとしているこの頃、
 少なくともわが国は、「理」優先から「情」重視に回帰しなおす元年だと思う。

参考図書:自由と民主主義をもうやめる (幻冬舎新書)
 ※麻生首相もご購読とか。→読売新聞の記事

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