「政治依存脱却選挙」だった?
あるメーリングリスト。以前にも紹介した「シニアに快く資産分配や支援をしてもらう方法」への反応があった。かつてのローマ帝国では神の恩寵を受けて成功した人は社会に還元する義務が考えられたと、寄付行為の発想が古くからあったことの紹介をいただいた。
『ではわが国だと、豊田家や御手洗家が率先して私財の1割を出すなどすれば、寄付の習慣が広まりますね』のような回答をしたと思う。すると、
「それでは、与えてもらう発想に過ぎず、富裕層に対する羨望の域を出ない」との物言いがつく。
純粋に受け答えしただけの私としては、心外というよりあっけにとられた。物言いの男は同世代ながら数千万の年収があるから私有財産を奪われたくないのだろうと、友人ながら疑った。もっとも彼自身、団塊世代の害とかを私以上に深刻に悩んでいたから、その点もあったかと思う。
『世代間対立を煽るなといっているのに、収入層対立を煽るような表現では矛盾してますね』と素直に謝っておいた。
政治依存脱却を目指す点では物言いの彼と共通しているのだから、争っては意味がない。彼に問題があるとすれば、資産的に富める者が、「そんな金は出せない」的な態度を強くとることで、私を含む多くの貧乏人たちが自分には金が回ってこないと過剰に失望させることぐらいだ。もらえるお金を考えない生き方に戻れるほど、日本人は大人になっていない(戻っていない)のだから。
”政治依存脱却”と”大人になる”とのキーワードが出たところで、昨日の記事を紹介する。
産経新聞…「日本は大人になる憂鬱を味わっているのだ」 村上龍氏が政権交代で米紙に寄稿
NewYorkTimesの原文…Japan Comes of Age
The Japanese people are realizing that no government has the power to fix their problems. But this is a good thing — Japan is finally growing up.
政府の力などそこまで及ばないと思い知らされ、大人になっていく日本人。
私だけでなく、敗戦をバネにした経済成長の恩恵はなくなったと気づく人が多くを占めるようになった。「負け組」だけでなく、地方公務員や大企業勤めの安定生活を得た勝ち組や世代の上での勝ち組である年金生活のご年配までもが、そう思うようになってきている。
「民主党でもいいや、自民党よりマシかもしれないから、政権とらせてしまえ」
以上の方々投票するだけまだいい。
私より年下(1980年代生まれ以下)の若者はどうだろう。
公示日をまたいで民主党前職の応援に行っていた。
平日の昼になると駆けつけるスタッフの層には偏りが出る。どこの選挙事務所でもそうだが、常勤の秘書を除けば60歳以上と専業主婦、あと学生しかいない。
数少ない30代男だった私は、車に乗って選管許可ポスターへの張替えに出たのだが、それでも他のスタッフと話す機会があった。選挙戦に参じたきっかけを聞いてみる。
60歳以上は…別の民主系候補の応援で付き合いができた。業界団体の繋がり、地元の友人の紹介。よくある話が続く。
学生は…候補者と付き合いがある教授の紹介(それも、大学院生が学部生を手配する役割を担っていた)。インターン紹介サイトから。mixiの公募(都道府県連による)を見て…
ん?10数年前の私のように、個人で勝手に参戦した学生はいないのか?それどころか、友人の紹介というのも聞かない。だから、選挙区在住の若者も少ない。
どうも、キャリアの一つとして、議員事務所など政治活動インターンを捉えているようにも見える。わずか10年ほどの差で、政治というものはこうも身近に、あるいは軽くなったのか・・・
と思ったら、与党自身がインターン企画をするらしい。
以前であれば、私のように議員自身と縁をつけて、秘書に連絡してやっとという所だったのが、ここまで開放されている。大変結構な事のように思えるけど、同時に安易な気がしてならない。とにかく試してみよう→気がついたら秘書になっていた、党職員になっていた。それもありなんだけど、どうも重みがない。
やはり、政治関連の職業というのが、他の職業と並列で語られる時代になったようだ。
私の学生時代は、「政治は重要だが、簡単に関われるものではない」との発想だったのが、「どうせ身のためにならない政治など無視してもいいが、面白そう」とする態度が変わったようにみえる。
政治がわが身のためになる。以前は身に感じられた政治の恩恵といえば、国益を守る外交や治安、社会保障に不公平の是正というところだが、ここ百年の体制では「拡大再生産による貨幣流通の拡大」のおこぼれを配分することが基本になっている。
60数年前の戦争に敗れるも、勝者に外交軍事を任せた低コストでの経済成長に成功してからは、おこぼれが大いに増えた。税収が増える以上、誰にでも政府が富の分配を保証した。戦時の国家総動員体制が残っていたから、官僚たちが直々に経営指導までもを買って出た。それが社会保障であれ、公共事業の受注であれ、貿易行政の後押しによる海外販路の拡大であれ、激職ではない公務員としての採用であれ、多少に関わらず誰もが政治の恩恵を受けられたのだ。
だが、政治の恩恵は毒でもある。生きる知恵を使わずとも生存権を保障されれば、誰だって、子どもになるだろう。お使いにいけば、小遣いを与えられる子どものようになってしまった。
今では、おこぼれ、つまり税収が少なくなるばかりである。以前に年金を払うと約束していた老年世代には借金してでも払っているが、40年先に年金受給権を得る学生達への保証はなにもない。彼らにとって政治の恩恵とは、見聞きした知識でしかない。歴史の一部扱いだ。
「シニアに…」の議論過程で私が、60代男性に「財政赤字を無視した考え方を」と言って激怒させたことがある。すると、慶大経済学部の学生が引き継いでこういった。
「拡大再生産って何ですか? 国家財政が破綻したっていいじゃないですか」
恩恵を受けたこともなく予測も出来ない彼らの態度を、批判することは出来ない。
激怒した60代男性だって、国家財政の破綻で自ら蓄えた資産の価値が減るのを恐れたというから、これも政府を頼ろうとする発想ではない。
結局、世代に関わらず、政府など信用していないのだ。
たまたまうまく行っていただけと言う事実を、それぞれが受け止めている。
戦後資本主義で富んだ60年の夢。
違う夢を見られるまでは、日本人はしばらく大人でいるよりない。
とにかく、公権力に頼らず自分(たち)で生きていく。せめて政府は邪魔をするな…
政治に依存しない・できないとの思いを深めた人は、さらに増えたことだろう。
「自民党でなくても生きていけますよ」と。
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