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のび太とドラえもんの「昭和」から

 私が小学生の頃は藤子F先生が健在であり、ドラえもんの新作が出続けていた。当時流行ったミニ四駆やファミコンなどが原作にも取り入れられ、時代感覚としても身近だった。
 が、野比のび太の家族構成とか生活については、異質としか思えなかった。スーツを着て出社する父、家に残る母、押入れで寝るドラえもん、昼間から風呂に入るしずかなどなど、首を傾げるシーンが連続していた。

 振り返ってみれば、藤子F先生の書いた野比家より、私の家のほうが異質だった。職人なのになぜか文系気質の父に、経理担当のサラリーマンである母。残業が嫌だと母が持ち帰った伝票のチェックを父と私がすることもあったりなど、ドラえもんはおろか当時の漫画には出てこなかった光景があった。

 つまり、野比家は「昭和」の標準であった。
 舞台は中流階級が住む代表例ともいえる東京都練馬区で、同じ郊外の特別区でも、職人が多い足立区でも豪邸が目立つ世田谷区でもないところが絶妙だ。世帯主の野比のび助氏は都心(新橋?)に通うホワイトカラー=事務系サラリーマンで、妻は専業主婦で不肖の一人息子が公立(たぶん)小学校に通っているといった設定である。
 
 小学生の私が不思議に思っていたのは、わかりやすいジャイアンの剛田雑貨店はともかくとして、静香の父までスーツ姿のサラリーマンだったことだ。「そないに東京ではホワイトカラーが多いんか?」と。
 塗料が所々ついたつなぎ服「ナッパ服」を着て帰ってくる父と対比すると、どうしても違う。その父がよく、頭脳労働、いわゆる事務系サラリーマンをホワイトカラーと呼び、自らを含む労働者・職人をひっくるめてブルーカラーと呼んで分けていたものだから(今もそうだが)、余計に違う世界の人と捉えていた。ただ、中学の同級生が都市銀行の役員になったとかの話をする姿を思うと、父にとって「ホワイトカラー」は何らかの憧れだったらしい。

 私の父に限らず、昭和の前半はサラリーマンといえば憧れの職業だったそうだ。国民の大半が農工業に従事していたから、スーツを着て純粋な頭脳労働に務めるホワイトカラーが華々しかったのだろう。それが敗戦を挟んで、農村の余剰人口のほとんどは工業に回され、その工業が自動化され肉体労働の場が狭まると、サービス業を含めた「ホワイトカラー」に従事する人が過半を占めるようになった。
 ドラえもんが始まった1970年ごろはまさにそういう時期で、万年平社員?ながらも安定したホワイトカラー職に就く野比のび助氏などは、小さな幸せの典型例だった。ある富豪に申し出られた、娘婿になれば画家になる道を支援しようとの話を断っての生活だから、全共闘とか学生運動に加わった過去がありながらも、「やっぱりメシを食わねば」と定職についた先輩方にも通ずるものがある。

 ともかくも昭和の頃は、大学を出て「ホワイトカラー」になることが幸せの道とされていた。私の父も「キャリア官僚」になれというぐらいで、長く続いた経済成長がほとんどの人をそう思わせていた。

 あれから20年以上が経ち、藤子F先生が身罷られて15年が過ぎた。IT化などによりホワイトカラーの需要が減る一方で、明治大正以前と同様、ブルーカラーつまり職人や技術者のほうが確実な人生を歩める状況に戻ってきている。古稀を過ぎた父が働き続けているのが何よりの証明であり、事務系に憧れる発言など一切聞かれなくなった。

 ドラえもんが今もなお人気を保ち続けるのは、登場人物の親が働く姿がほとんど登場しないことも理由だろう。時代背景がずれないで済む。(その点を思うと、島耕作シリーズなどは早々に古典と化すはずだ)
 藤子F先生に漫画家以外の就労体験がほとんどないこともあるのだが、長らく拠点を川崎市生田に置いたことから、首都圏郊外住宅地の良さそのものを書き続けたかったのかもしれない。練馬区設定なのに多摩川に模した川に行くシーンもあるぐらいだ。

 川崎市など首都圏郊外といえば、少し前までは宅地造成など自然破壊のオンパレードだった。それらへの反発だろうか、のび太は森林好きの設定であり、「こんなにダメな奴だが、環境に配慮しているぞ」のようなメッセージを、地球温暖化などが叫ばれる以前から発していた。
 また、秘密道具「もしもボックス」の効能で、のび太が世界的なあやとり名人や昼寝の達人としてフィーバーする話なども、学歴社会・画一評価の連続に対するアンチテーゼとして捉えられる。空き地の存在も「子どもが逃げ込める隙間」の必要性を暗示しており、いつだったか、尾崎豊の兄の康氏が「弟の頃には逃げ場がなくなっていたから、辛かったのだろう」のような話をされていたように思う。ちなみに当時の尾崎家は練馬区にあった。
 昭和の典型と22世紀の遠未来を舞台にしつつも、志向性は近未来だったといえる。

 ドラえもんには、昭和からの警告が散りばめられている。
 今と同じ状態は続かない。未来に備えよと。

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