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私刑(リンチ)のある世界

 ある経営者のように、社員を苦しめて自殺に追い込んだりするような奴をみると、まさに私刑(リンチ)にかけたくなる。サラリーマンが上司や大株主に思う所に限らず、そんな気持ちになる事例が星の数以上にあるはずだ。
 だが、本当に刑を執行するわけではない。もしリンチに成功したとしても、先にあるのは数倍の罰つまり公刑であり、真っ当に生きる道を狭められる。家族や周囲の仲間、世話になった人々に迷惑をかけることになる。特に社会的地位を得た者にとっては、公刑を受けずに済む展望があるか、後に罰を受ける痛み以上の恨みがない限り、私刑(リンチ)を選択肢としない。

 では、社会的地位を気にしない立場にいればどうだろう。
 とその前に、この世の中には、公権力が扱わない罪科が嫌と言うほどある。検察や警察もマスコミも触れない(触れたがらない)悪が後を絶たない。

 社会的地位とか云々を言う前に、
 「私刑を与えられる恐怖」
 をもって治安能力の代わりにする空間があるのだ。

 池袋ウェストゲートパークを読んでいて、このことをようやく思い出した。
 主人公の真島誠をはじめする人物は、世間に触れさせたくない(触れてもらえない)事件で仲間が被害に会うと、その原因となる相手をリンチで裁いている。殴る、切りつける、親を脅す、その他諸々の手段で。
 文中の表現を借りると「頭の悪いガキども」の世界であり、大学はおろか高校にもいけない(行かない)若者が、池袋の夜にたむろする。20世紀末に20歳前後だった、いわゆる「チーマー」達。同じチームの仲間とともに、冷えかねない人の情を暖めあい、自衛して都会の間を生きてゆく・・・

 まだ地元にいた頃の俺は、すぐそばにそんな空間があった。
 大学教授や社長を親にもつ子がいる反面、ヤクザの家庭やいわゆる同和地域とか在日系、両親のいない貧乏所帯の子など、公権力や表の社会から相手にされない状況でもしっかりと生きていた連中がいた。さらに大学に行く甲斐性(頭の問題だけでなく、家計とか諸事情含む)がなくて、あぶれた子もここに合流した。
 いわゆる「下流社会」予備軍である。
 俺はこの区切りが本気で嫌いだが、こう区切られてしまうからこそ、真っ当とされる大人たちからは無視される。仕方なく彼らは争い事を自分たちで処理して、自分たちで身をまもり、そしていざという時は私刑の手段をとる。一種の自治空間であり、それぞれのグループがそうやって暮らしていた。今も同じような状況が、当たり前のように続いているに違いない。

 気が付くと、私刑(リンチ)のある世界を忘れてかなりの時間が経っていた。
 まぐれで、大学の専攻どおりの会社に採用され、東京に出てはや8年。不満はあれど安定して給与の出る身分で、私刑などを思わずに暮らせる甘い空間にいる。30を過ぎて独身の自分を思うと、親に申し訳が立たない。
 その我が父は夜間高校あがりで職人の親方。まさに私刑のある世界を肌で知っている人だ。不思議でならない。池袋~の真島マコトと似たような経歴をもつ父を持ちながら、俺はここにいる。甘い。甘い・・・

 証券取引法で逮捕されたホリエモンは、私刑に遭ったのだろうか?
 検察は公権力だから、とうぜん公刑だ。だが、反小泉勢力が東京地検を動かしたとすれば私刑とも思えるし、彼が見せしめになったと捉えても私刑。欧米資本などの横槍は考えないようにしよう、面倒くさい。

 とはいえ、いったん社会的地位を得れば、私刑を考えなくて良くなる。
 代表取締役であれば、人事権を使って敵や気に入らない奴を左遷すればよいし、首相であれば大臣を罷免したり、与党の議員は大臣にさせないと脅したりすればよい。使っている手段自体はあくまで「公刑」だ。でも、その発動原因がリンチ的なものであるかどうかは、本人しかわからない。
 痛い目に会った部下たちの末路は、名誉や食い扶持の剥奪。武士のような度胸のある人は、切腹、でなくとも辞職などして己の潔白を主張するだろうが、多くはそうはいかない。高度のストレスで鬱になって社会性をみるみる失ったり(別に鬱でもいいんだけど)、泣き寝入りの自殺(と見せかけて口封じで殺されてるケースもあるだろうが…ライブドアの野口取締役?切腹とも言われるが?)に追い込まれることもあろう。

 社会的地位があって、公刑と私刑をハッキリ分けられる方もたくさんいらっしゃると思う。だが、叩き上げのホリエモンはともかくも、小泉さんのように二世三世では、私刑しかない世界と自分のいる世界の違いなんて知るよしもないだろう。

 そういえば、あの人も○○公社総裁の息子で二世だったか。
 不況下とはいえ、株価を自分の社長任期だけで10分の1も下げた人。それでも某経済団体のトップを狙っていた(さすがに失敗した)とかいう、実に偉いお方だ。
 また彼の批判になる。このへんで止めよう。

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好きな事でメシが食えるか?

 「サッカーでメシが食えるか?」という本の紹介をやれと言われているので、久々にブログを書くつもりだが、最近、どうもストレスがたまり気味だ。
 好きな部下(後輩まかせで仕事しない)を露骨に取り立てる役員とか、成果主義目標管理制度が怖くて無理難題を押し付ける上司(多少は同情できるが)とか。宮仕えというのは、上下関係の理不尽と戦う毎日でもある。理不尽から逃れられるのは自営業だが、成功するか否かは全て自分の責任である。これはこれで大変だ。

 では、己の好きなことを仕事にすればよい。
 上下関係の苦労も、経営責任の重圧も気にならずに済む(はずだ)。

 たまたま、周りにそういう男が居た。
 学生のころから「もつ」と呼ばれる編集者である。
 かなりの昔から、彼はこう言いつづけていた。

 「ロクさん(=筆者)、俺はサッカーの本を出したいんですよ」

 いちおう、文学部の出版コース?に籍をおいていたが、そのような気配は一向もなかった。昼は下宿友だちと遊んだりサッカーを楽しんだり、夜は木屋町の店でバーテンをやっていた。
 ただ、強引に人を引っ張るパワーがある反面、流れに任せて身を置ける柔軟さをあわせ持つという、彼のマルチ加減はこの頃から目立っていた。

 あれから7年、編集プロダクションに3年間身を置いた“もつ”にチャンスがめぐってきた。ある専門雑誌から声がかかり、また別の出版社からはサッカー関連の本を責任編集せよとの依頼が来た。
 彼は悩んだ挙句、まず責任編集の道を選ぶ。

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 「明日、サッカーの試合を観にいくんですが、いかがですか?」

 もつめ、曲がりなりにもサラリーマンの俺に、前日誘うとは何ごとか。と思うも、「女の子に4人も断られた」とのことでOK。次の日は早々に退社して調布に向った。
 
 前半途中で入場して、ハーフタイム。“もつ”は早速カバンの中から本を取り出してみせた。

 「できましたよ!『サッカーでメシが食えるか?』。」
   
 半信半疑で覗いてみると、これが面白い。サッカー関連の仕事は何でも取り上げられているという、一種の就職読本である。
 選手・監督、解説者、協会職員、カメラマン、スポーツアナウンサー、グラウンドキーパー、サッカーバー経営者、プロチーム所在都市の公務員(もつの地元・市原市)などなど。それぞれにインタビューをして経験談をまとめ、それぞれの職業の「サッカーで飯が食える度」欄を左頁上にまとめるなど、見やすさも重視している。

 だいたい、サッカーならプロ選手にならねば、なんて誰が決めた事なのか?スタジアムのバイトからショップの兄ちゃんまで、サッカー関係者であることには変わりない。
 俺のストレスのもう一つの原因もここだった。勤め先の部門査定が、営業や親会社がらみとか労組関係者など目立つ方々にはあまく、センター運用とかお客様センターなど目立たない職務には辛い。全てのパーツがそろって一つの事業という発想が、多くの業界で欠けている。
 “もつ“が、サッカーがらみの様々な職種に目線を広げたのは、「王道は一つ」と決め付けがちな現代社会へのアンチテーゼではなかろうか。

 試合はユベントスが格の違いを見せてFC東京に快勝した。MVPのデルピエロは、対横浜戦に続いて2台目の日産車を獲得した。
 
 デルピエロ君、君も好きな事でメシを食っているのか・・・
 いや、もう一人そばにいた。

 「で、ロクさん。一緒に本のビラ配ってくれませんか?500枚。」
 「あほか、金よこせ」
 「いい本だって言ってくれたでしょうが、サッカーファンが相手なら捌けますよ。」

 と言いつつ、またのってしまった俺。
 腹をくくれば出す声の勢いもあがり、40分間ですべてを撒く。
 意外なまでに高反響だ。

 「まじで金よこせ、興味がない女の子連れてきたらこうは行かへんかったぞ」
 「だったら、○○(人物ではない)を紹介したこととか、チャラにしますよ」
 (おれの弱みをつきよってからに・・・)

 「じゃあわかった、サッカーが好きなんは知っている、ほんなら編集も大好きなんか?」
 「毎日が学園祭前夜のような世界ですからね。楽しいですよ(笑)」

 そう言った“もつ“は、スタイリストと待ち合わているといい、編集プロの事務所に急いだ。

 父の言葉をふと思い出した。
 「大介、天職に就くヤツはそないに居やへんぞ」

 お父さん、それ嘘かもしれんわ。
 すでに“もつ”が、天職に就いている。その方法は『サッカーでメシが食えるか?』を読むのが近道だろう。

 というわけで、もつ君。金くれ(笑)

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エリートのフリをするな。(司馬先生の警告?)

 司馬遼太郎氏の作品でも「坂の上の雲」は好きな一つだ。
 物語は伊予松山に始まり、俳句から現代文を確立した正岡子規、その友人・秋山真之と兄の秋山好古が海陸の将として日露戦争に臨むまでを描いている。題名からして、明治のエリート達がいろいろと思索を練って必死に生きている姿を想像させる。責任を持つ個々がそれぞれに働き、なんとか日本の骨格を向上させた時代といえる。

 そこで、司馬遼太郎を批判する一文を目にした。
 Snobist Club 孤言的時評-司馬遼太郎的言説の限界

 司馬さんは大正のお生まれで、いわゆる明治憲法下の教育を受けた人物である。多分に明治エリートの美風も残っていただろうし、憧れがあったことは言うまでもない。「坂の上の雲」は、己の力を知り適切な対応をとろうとした、明治人たちの生き様を称えている。
 秋山好古陸軍大将(日露戦当時は中佐ぐらいだったか)の晩年、孫達に戦争時のことを聞かれて、

 「おじいちゃんは負けてばっかりだったよ」

 と語った一節が「坂の上の雲」にある。好古は騎兵科を専門とし、体格のよさから西洋馬もよく乗りこなせたらしい。しかし、満州の戦場に日本軍の少ない軍馬ではあまり効果が無く、偵察要員として利用する以外に馬の機動力を生かす場はなかったらしい。さらに騎兵隊が時代遅れになりつつある事情もあり、この10年後の第一次世界大戦では戦車が登場するぐらいである。
 それで好古は当時の最新兵器・機関銃の配備をおこない、コサック兵に襲われるたびに、馬から機関銃を下ろして掃射する。そうやって戦闘力の不足を補い、なんとか戦線を支えた。騎馬の特徴を生かしたいという思いよりも、まず欠点を見極め、負けない対策を練った。秋山好古という人物の冷静さ、ひいては明治のエリート達が持つ責任感が「坂の上の雲」の屋台骨となっている。

 こうした上で、日露戦後の指導者達が勝ちに驕って、冷静な判断力を失っていく様にも触れており、明らかに現代人(昭和人)への警告が見受けられる。
 この警告が大変重要なはずだが、多くの読者諸君は自らの姿を秋山兄弟や正岡子規に当てはめることに終始し、己の力量や取り巻く環境の厳しさを忘れる効能のみを利用した。これでは日露の戦勝に酔った指導者たちと同じではないか?気が付けば、逆効果になっていたのだ。

 司馬さんはお気づきだったのだろう、映像化を許さないまま、泉下の人となられた。

 映像化されれば、戦闘場面がより強調され、たとえばロシア帝国の迫害を嫌ったユダヤ人からの資金供与、あるいは大英帝国の思惑や明石元二郎の革命煽動などの、他からの働きかけが埋没してしまう状況を予想したのだろう。
 ただの戦争モノ、それが「日本はよく戦った」との印象・いや精神論が表に出すぎては、周囲の環境(社会・自然)や時代の流れによる後押しを忘れがちになる。なにより、秋山兄弟や子規の苦心とその後の指導者の対比が弱まり、『警告』の効果が薄れてしまう。

 幸い、映像化による害?は免れたが、エリートの立場だけを夢見て、エリートが背負う責任や義務付けられる冷静な判断力を忘れる人々が後を絶たない。司馬さんはそこまでは言ってないが(言って欲しかったが)、民間の子規、政府側の秋山兄弟をとらえることで、襟を正して欲しかったのだろう。

 エリートの立場は、その他よりも大きな影響力を手にすることが出来る。官僚・政治家のほか大企業の役員管理職、学者評論家もそうだろう。
 この中で私の身近な存在は「大企業の役員」だが、どうもその「立場」のみを喜ぶ方々が少なくない。新技術を取り入れたさに予算や顧客への安全を無視したシステム担当役員の暴走、あるいは親会社からの点数(目標管理制度による)を稼ぎたいがためにオフィス改装を繰り返す総務担当。まあ、某大臣先生あたりよりははるかにマシだけども。

 疲れてきた。目先の欲が強くなりすぎて後先を忘れる人々、特に50代の方々に…。

 30年前、「坂の上の雲」からの警告を受けた若者はそう多くはなかったと思われる。
 当時はオイルショックが前後したとはいえ、高度経済成長期の最中。富める時代に厳しさを求めるにはあのような文章になったのだろう、「坂の上の雲」を書いた頃の司馬先生の難しさがしのばれる。

 追伸:NHKがドラマ化を予定しているそうです。ご夫人が映像化を許諾されたらしいけど、どうも危ない気が…

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