文化・芸術

AKB総選挙とメディアリテラシーと持続可能な社会

 よくわからない題名をつけてしまった。
 AKB48自体が、明治~昭和(経済成長期)と平成以降(経済非成長期)の境目みたいな存在で、大震災以上に大量消費志向にトドメをさす役割ではないかと思っているからだ。

 アイドルグループのメンバー個々の人気を競わせる総選挙。自分の好きなメンバー(推しメン)を勝たせたければ、投票権付CDじゃなかった、CD付投票権をひたすら買い込み、まとめて票を投じればいい。
 報じられている中で最もの猛者は、2000万円(12500票)分買ったという。確かに、若者の収入(年収2~300万程度)であっても、独身で親元に住んでいれば百数十万円をCD付投票権に回すことが可能で、1000票前後を確保するファンが何人いてもおかしくない。

 つまり、総選挙は明治~昭和から繋がる最後の「まとめ買い」「無駄遣い」を伴わせるブームであり、その選挙結果が、消費志向を見直す絶好の機会となった。

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後出しなら、ウソだった?

 斉藤和義が自ら楽曲の歌詞を変えて歌っていると思われる、「ずっとウソだった」。原発への不信を直球でうたっているが、震災前に反原発の態度を示していればもっと効果があったのに…という感想は、多くの人が持ち合わせたのではないだろうか。(追記:以前にも反原発的な作詞があったとのこと、筆者は4/14にこちらで確認。)
文字起こしされた歌詞

 この情報は、MLで知った。
 送信元の人物は10以上の他MLに対しても同時投稿したようだ。

 歌やそれを広めることに罪はならないが、放射線差別への助長にならないかと恐れている。なにより、福島県を中心とした方々に、言われもない苦痛が広まる懸念がおさまらない。

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オダギリジョーと大泉洋

 先に言っておくが、俺はアッー!な趣味は持っていない。

 2人は素直さを感ずるというのか『どうせ、俺はこの程度だ』といった謙虚さが、自然と見受けられる。自然な謙虚さというのは自信のなさともとらえられるが、裏返せば『ここまでは別に笑われてもいいや』といった覚悟でもある。それは動かぬ自信に裏打ちされた余裕でもある。
 それで、トークもうまい。どこで拾ったのかわからない雑学知識を出してくるかと思えば、自分を必ず落として、ある程度の笑いをとる(この点は俺と共通している。)

 役者として、いやほとんどの職業人にとって、不可欠な脱力感が備わっているから、男の俺が観ても気が楽だ。あくせくしていないから、他の価値観を肯定しつつ周囲にあわせる(あるいは邪魔しない)ことができる。かといって、無理に先輩や先行者についていくこともなく、己の価値観には無形のこだわりを持っている面も伺える。例)大泉の物真似、オダギリのファッションなど

 最近よく書いていることだが、昭和の経済成長時における成功体験を引きずった方々、いわゆるモーレツビジネスマン系が、各方面でじょじょに邪魔扱いされている事実がある。「自分の頑張りに周りを巻き込みたがる」「何ごとも制度化を好む」「以前できなかったことを、時流を考えずに今やりたがる」と、このようなやりたがりの暑苦しさが、彼らにはない。
 その点でも、この2人は「やりたがり」が通用しない、次世代を写しているのかもしれない。

 男よりも未来を見る目があるだろう、女性の人気も上がっているのも当然だ。

 専門家でもないのに、あまり書き立てるとおかしくなるからこのへんでやめるが、俺は役者をやるなら彼らあたりが理想的に思っている。

 
参考:
  オダギリ ジョー『作品の魅力と自身の“しあわせ”観について語る!』(07/09) ORICON STILE
  大泉洋“独演会”に蔵之介、堺らがダメ出し!?『アフタースクール』初日爆笑舞台挨拶 …バラエティ・ジャパン

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お笑い社会批判

 最近のお笑いの面白さは、表向きに言いにくい社会批評をうまく織り交ぜている所も見所だ。著作権違反の恐れはあるが、最近の若手芸人のネタを抜粋してみた。
 いずれも、日本テレビの番組・エンタの神様で公演されたもの。以下、やや内容が相違すると思われるが、大意はあっているはずだ。

 インパルス(フェミニストの幼稚園長編)

 ある幼稚園。絵本を読み聞かせようとする男性教諭(堤下敦)がいる。そこに就任したばかりの女性園長(板倉俊之)が現れ、読み方だけでなく話の内容にまで逐一文句を入れてゆく・・・

 教諭(堤下)「昔、お爺さんとお婆さんがいました・・・」
 園長(板倉)「ちょっと待って、そこ必ずしもお爺さんが先かな? あくまで人間同士並列なわけだから、お婆さんとお爺さんでも可なわけでしょ。」
 教諭「ここに『昔、お爺さんとお婆さん』て書いてありますから。」
 園長「ほら、『昔』って。1985年男女雇用機会均等法ってのが成立しているわけだから。なに昔の話してんの?」
 教諭「すみません。昔、お婆さんとお爺さんがいました・・・」

 教諭「お婆さんが桃を切ろうとすると、桃はパカッと割れて・・・」
 園長「ちょっとごめんなさい、お婆さんが桃を切ったのは、お婆さんの意思?お爺さんの指示?」
 教諭「絵本だから、ちょっとわかりにくいですが、絵ではお婆さんから桃を切ってますから、お婆さんの意思かと。」
 園長「あなたとはうまくやっていけそうだわ。」
 教諭「お婆さんが、お婆さんの意志で桃を切ろうとすると、桃はパカッと割れて男の子が飛び出してきました。」
 園長「何で、何で、何で、何で男の子なんですか?確率的は2分の1だから、女の子でも言いわけだから、何で男の子なの。」
 教諭「男の子の物語ですから」
 園長「主役はいつだって男だっていう固定観念が危険だって言ってるわけ。1991年育児休業法っていうのが成立してるんだから。何で昔の話してんのよ。いけしゃあしゃあと。」
 教諭「桃はパカッと割れて女の子が飛び出してきました・・・園長。名前どうしましょう?」
 園長「ジャンヌ・ダルクで。でも桃無視しちゃいけないから、モモヌ・ダルクで」
 
 教諭「そのころ、村に鬼がやってきて・・・」
 園長「ちょっと待って。あなたは分かってるかもしれないけど、子どもたちはわかってないから、鬼は女性を虐げてきた愚かな男どもの象徴だってことをカッコ書きで、言ってあげないと伝わらないから。」
 教諭「そのころ、村に鬼(女性を虐げてきた愚かな男どもの象徴)がやってきて、悪さをしていました」
 園長「その悪さっていうのが、浮気・痴漢・セクハラだってことをカッコ書きで、言ってあげないと。」
 教諭「浮気・痴漢・セクハラなんですか?」
 園長「そうよ。そうじゃない。言ってあげないと、子ども達が変な風に育つじゃない。」
 教諭「そのころ、村に鬼(女性を虐げてきた愚かな男どもの象徴)がやってきて、悪さ(浮気・痴漢・セクハラ)をしていました。」


 ドランクドラゴン(下町のバカ親子・宿題編)

 下町の親父(塚地武雅・格好は職人)が、息子(鈴木拓)に宿題を教えてくれと頼まれる。まず国語、続いて理科となり・・・

 息子(鈴木)「タカ、クマ、スズメ、ツル。この中で仲間外れは?」
 親父(塚地)「拓、お前はどう思う?」
 息子「タカ、スズメ、ツルは羽が生えてるでしょ。クマだと思うんだ。」
 親父「お前はほんとにバカだなあ。スズメに決まってるだろうが。オレの会社にタカ田、クマ田、ツル田はいるけど、スズメ田は居ねえ。まあ、今度入ってきたら、その時にまた考えよう。」
 息子「わかった。じゃあ、スズメだね。」
 親父「待てよ。父ちゃんおかしいと思うんだ。なぜ仲間外れをつくらなきゃいけねえんだ。そうだ、こう書いてやれ。『この中に仲間外れはいない。本当の仲間外れは、問題を作ったあなたです。』って。人に言われなきゃわかんねぇんだろうな。結構効くだろうな、これ。」

 息子「次は、算数。森に5羽のウサギがいました。ウサギのうち、まず3羽が森を出て行きました。」
 親父「おい、残ったウサギたち偉えじゃねえか。この森を守ろうと頑張っているんだ。『ウサギ頑張れ~』拓、お前も応援してやれ。(さらに問題にむかって)『ウサギ頑張れ~』」
 息子「頑張れ~』
 息子「では、森に残ったウサギは何羽でしょう。」
 親父「なんだ、そんな問題かよ。そうだな・・・ 200羽だ。宅地造成とか自然破壊で踏ん張るようなウサギだからよ、一羽で百人力だ。待てよ、もっと凄いかも知れねえ。」
 息子「200羽だね。」
 親父「さらに、付け加えておいてやれ。『理科の問題の仲間外れは作った人そのものです』って。」
 息子「父ちゃん、これ算数の問題だよ。」
 親父「バカヤロウ、算数の人に口コミで広げてもらえ、周りから言ってもらってわかるかも知れないからよ。」


 前者は行き過ぎた女性尊重思想を、園長のこじつけを見せながら揶揄、後者は人間は自然の中に生きる一動物であるという思いを、親父の強引な解釈で語り続けている。

 日本人は批判することが苦手な民族性といわれて久しい。
 方々から集まった(負け逃れてきた?)人間と先住民が、争わず手打ちするか、あるいは住み分けることで共存してきた歴史に原因があるといわれるが、不満や批判のタネはつきなかったはずだ。そんな中で平和的な手段として発達したのが、歌舞伎などの演劇に織り込むやり方と、演芸のネタにして笑い飛ばすやり方である。最近のお笑いブームは、まさに社会的不満がたまってきた証拠であるといえ、しばらくその勢いは続くだろう。
 
 すなおに面白いし、ストレスも解消される。いい傾向だ。
 いずれもこれからが長い芸人。インパルスは両者ともに私よりも年少だそうで、長らくその芸をみられることがより嬉しい。

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